☆☆ がんばれ! 革命家外山恒一 応援スレッド ☆☆ 政治と社会 ☆ 政治と社会 ☆ 総合掲示板 プラスワンにもどる!! ☆
  全記事表示中 最後のレスまで飛ぶ! レスを全部、見る 最新レス50件を見る 記事1-50を見る
アクセス回数 総計  
本日のアクセス回数     昨日のアクセス回数  
☆☆ がんばれ! 革命家外山恒一 応援スレッド ☆☆

01名前:明日の社会派ですよ  発信日 :2002年 2月10日(火) 19時01分
・外山恒一 (ファシスト:自称) のホームページ

http://www.warewaredan.com




02 名前:全裸主義者_外山恒一  発信日:2002年 2月13日(水) 19時03分
「全裸主義者」にして、不屈の革命家、外山恒一です。

ぼくの「革命的行動」とは、組織的なものではありません。
常に「個人的行動」です。
そして、きわめてシンプルです。

それは、つまり、

学校をやめろ!
会社をやめろ!

ということです。

この「不毛な競争社会」から「進んで脱落せよ」ということです。
今の社会は、すべて学校と企業によって成り立っています。
「学校と企業の論理」によって、成り立っているわけです。

それを崩すためには、どうしたらいいか?

答えは、簡単。
学校をやめろ! 会社をやめろ! ということです。

ぼくは、ここ十年以上も「貧乏な路上ミュージシャン」を続けてきました。
その結果、「世にも情けない33才の無職の中年男」になったわけです。
「世間から馬鹿にされた経験」も無数にあります。
最近では、地元の女子高生数人グループに囲まれ、「相当、きつく」やられました。
「おっさん、死ねよ!」
そう罵倒されました。
「33才の無職の中年男」というのは、地方の女子高生にすら馬鹿にされるほど、
の存在なのです。

しかし、それが、どうしたというんです?

この「不毛な競争社会」に進んで参加しているようなやつらより、数段、マシです。

だから、叫びましょう。
学校をやめろ!
会社をやめろ!
「33才の無職の中年男」で、どこが悪い?
もっと自分に自信を持て!
この「不毛な競争社会」から進んで脱落した「情けない自分」に自信を持て!
これが、外山恒一の目指す「革命的勝利」です。わかりましたか?

そのためには、もっと「不毛な競争社会」から「進んで脱落した」人間が、多く必要となります。
だからこその「外山恒一の全裸主義」です。

「俺は、33才の無職の中年男だあ!!!!!!!」
「俺は、情けない高校中退だあ!!!!!!!!」
「俺は、貧乏な路上ミュージシャンだあ!!!!!!!!」

そうやって、すべてをさらし、赤裸々になって「進んで脱落した同志」を増やしていくわけです。
「33才の無職の中年男」には、自尊心もプライバシーも要りません。
必要なのは、「外山恒一の全裸主義」と「革命的勝利」のみです。

>ぼくを批判する人々へ。
あなたがたが、以前からタワゴトを並べていたのは、わかっています。
しかし、ここではそのことは不問にします。
問題は、「不毛な競争社会にしがみついているあなたがた」が、決して「外山恒一の全裸主義」には
勝てないということです。
「中途半端なあなたがた」は、決して「全裸主義者、外山恒一」に勝つことはできません。
それが、わかったら、すぐ懺悔し、敗北宣言をしなさい!
自尊心もプライバシーも捨てたぼくは、ほぼ無敵なのです。

03 名前:全裸主義者_外山恒一  発信日:2002年 2月15日(金) 13時12分
慢性のノイローゼ気味(睡眠薬が欠かせない)で、頭痛がしますが、言っておきます。
最近のぼくは、「生き恥」「赤恥」をかくことを恐れなくなりました。
人前や女の子の前で、恥ずかしいことをしたり、「情けない自分」をさらしたりする
ことをやれるようになったのです。

こういうことを言うと必ず、ぼくに対して、批判的な人物たちは、「嘘をつくな! そんな度胸もないくせに」
と言い張るに決まっていますが、こいつら、結局、ぼくの十年以上の貧乏路上生活を甘くみています。
ぼくは、決して、「生き恥」をかくことを恐れません。
そのためにこそ、30才を過ぎたあたりぐらいから(つまり、ただの無職の中年男になってから)
ぼくは、「全裸主義」で行くことにしました。

「全裸主義」とはなにか?
要するに「なにもかも人前にさらしてしまおう。情けない生き恥をかいてやろう」ということです。
何度も言ってるようにぼくには、なんにも持ってません。
高校中退を二度も繰り返し(元々、学歴なんぞ価値を認めていないが)、まともな職歴もなく、
当然、有名ミュージシャンではないので、CD売り上げもライブ収入もない。
所持金なんぞ、かけらほどもない。(あちこちに頼みまくって、借金だけは山ほどあるが)。
精神的には、明らかなノイローゼ気味で、昔、フラれた女に対して「ストーカーになった経験」も
二度や三度ではなく、二年ほど前から精神科に通院してるし……(今年も病院通いは、ほぼ確実)。
銭労協の山の手緑には、「サイコパス」などと罵られ、はっきり切り捨てられる始末。
路上ライブでは、汚い酔客にからまれたり、女子高生、女子大生に小馬鹿にされるのは日常。
(それでも時々、密かに目当ての女のメールアドレスを結構、集めていたりするが……)。
もはや大学生にすら相手にされない「33才の無職の中年男」で、正直、収拾のつかない毎日です。
しかし、こんな情けない自分でも「革命活動」を続けて行ける方法があったのです。
それは、「人前で、すべてをさらすこと」です。
「赤っ恥」「生き恥」をたっぷりかいて、かいて、かきまくり、とにかく世間の注目を集めてやろう!
ということです。

メジャーなミュージシャンなら、気のきいたコラムを雑誌に連載するところでしょうが、ぼくには
そんなコネもなく、当然、自費出版する金なんかありません。
そんな貧乏で「33才の無職の中年男」でもできる「革命活動」が、このやり方なのです。
もはや大学生にさえ、相手にされなくなった「三十歳過ぎの無職の中年男」が、開き直り、とことん
人前で「生き恥」をさらしたら、どうなるか?
少しは、世間や自分好みの女の子の注目を集めるでしょう。
(以前から「自慰メン」という企画もやってますが)。

証拠がない、というなら証拠をみせてやってもいいでしょう。
以前、ぼくは「革命活動」を通して、日高明子という女とつきあっていました。
その知り合う過程は省略しますが、結局、二年ほど前、悲惨な形で別れました。
その時の事を手記や歌詞にする作業もしたりしました。
いや、こういう甘い言い方をすると、ぼくを批判する人物たちは、
「そんな甘いもんじゃなかったはすだ」
と批判するでしょうから、正直に「本音」を言います。
「恋人」日高明子との交際は、あの女の「肉体目当て」でした。
「恋人」日高明子は、あまりモテる女ではなく、左翼業界では、よくいるタイプの女だったので
そこが「狙い」でした。
何度かの付き合いの後、地元福岡市内のラブホテルやぼくのアパートで、セックスにおよびました。
その結果は、何度かの激しいセックスとオーラルプレイの後、「恋人」日高明子の妊娠と中絶と
別れでした(無論、結婚届の紙切れ一枚なんかで、肉親関係など結ぶ気も、拘束される気もないが)。

結局、ぼくは、「恋人」日高明子の肉体を、ただ玩弄しただけで終わったのです。
そこには、愛情なんて何も無く、あるのは、ただ「女の肉体目当ての性欲」だけでした。
ただ、この目の前の日高明子という尻軽女とヤリタイ。
大してかわいくもなく、ほとんどモテナイこの日高明子というバカな女の体に欲情したい。
男根と女陰をこすりつけあい、いつも持て余している肉欲をたっぷり満足させたい。
そして、この女の都合よく、すぐ裸に出来る肉体で、自分の性欲を処理してしまいたい。
この女をさんざん泣かせ、気ままに虐めぬき、とっくに行き詰まってしまった「革命運動」のうっぷんを解消したい。

ほんとうにそれだけでした。

馬鹿フェミニストや何人かから非難を浴びましたが、ぼくは、ほとんど痛みなど感じていません。
結局、最初から「女の肉体目当て」のセックスだったのだし、元々、「一対一恋愛イデオロギー」など
否定していますから。「浮気、不倫、オールOK」だし(笑)。

だから、正直に言いましょう。
俺は「恋人」日高明子を「女の肉体目当て」で「狙っ」た。
俺は「恋人」日高明子をアパートに誘って、素っ裸にひん剥いた。
俺は「恋人」日高明子に何度もあえぎ声をあげさせた。
俺は「恋人」日高明子の乳房を後ろから揉んだ。
俺は「恋人」日高明子の乳房を揉んで、揉んで、揉みぬいた。
俺は「恋人」日高明子によがり声をあげさせた。何度も何度もあげさせた。
俺は「恋人」日高明子の腰をつかんで、振り回し、劣情し、発情した。
俺は「恋人」日高明子の性器を自分の男根で貫いた。何度も何度も貫いた。そして射精した。
俺は「恋人」日高明子を汗と精液にまみれさせた。
俺は「恋人」日高明子を何度も口で「奉仕」させた。
俺は「恋人」日高明子を緊縛し、イチジク浣腸し、鞭で叩き、SMプレイもやった。
俺は「恋人」日高明子の肛門を「舐めるように」してセックスした。
俺は「恋人」日高明子の陰毛を蛍光燈で照らして、何度も数えた。
俺は「恋人」日高明子の自慰を何度も強要した。
俺は「恋人」日高明子の前で、何度も自慰をしてみせた。
俺は「恋人」日高明子の全裸写真を何枚も撮り、性的興奮を覚えた。
俺は「恋人」日高明子の股ぐらを無理矢理、全開させ、羞恥にまみれさせて、たっぷり楽しんだ。
俺は「恋人」日高明子の生理日にもセックスを強要した。
俺は「恋人」日高明子に中絶を強要した。
俺は「恋人」日高明子を弄んで、切り捨てた。

どうですか?
この「全裸主義」の凄みは?

十代では反教育運動に明け暮れ、その後は十年以上も貧乏な路上ミュージシャンをやってきて、
もう、まともな就職などできなくなってしまった「33才の無職の中年男」でも、一度、本気を出せば、
ここまでのことができるのです。(このくだらない価値観に支配された社会に合わせる気などない!)

自分の「赤裸々な過去」をとことんさらすこと。
人前で「生き恥」をかくこと。

そのことによってのみ、世間やマスコミや好みの女の子の「注目を集めること」ができるわけです。
「不毛な競争社会」に「中途半端にしがみ」つくバカな連中なんかでは、こんな事は、絶対、出来ません!
だからこそ、革命家外山恒一に勝つことなど出来ないのです。ざまあみろ!
(大体、無職の貧乏路上ミュージシャン自体が、毎日、「生き恥」をかいているようなもの。
「生き恥」「赤恥」にこだわってなんかいてはできない)。

>ぼくを批判する人々へ。
こういう連中は、一体、ぼくが、何年、路上ミュージシャン生活を続けてきたと思っているのでしょうか?
それは、言うまでもなく、すべて「目立つ」ためです。
さきほども言いましたように、ぼくには、なんにもありません。
学歴も職歴もCD売り上げも勿論、金なんかありません。
そういう無職の駄目人間が、「革命活動」をやっていくためには、どうしたらいいのでしょうか?
ただ「目立つ」しかないのです。
路上やネットで、「生き恥」を山ほどかいて、ただ「目立つ」しかないのです。
そうすれば、「だれか」が「革命活動」に目覚めます。
その「誰か」を「目覚めさせる」ために「目立つ」しかないのです。
「全裸主義者」外山恒一は、公の場所で「情けない自分」の男根も肛門も「何もかも見せ」て、
素っ裸となり、ただ生き恥をかき、恥辱にまみれても「目立つ」ことによってのみ、存在意味があるのです。

最後に再び、いっておきましょう。
学校なんかやめろ!
会社なんかやめろ!
自尊心なんか捨てろ!
見栄なんか捨てろ!
貧乏なんか恐れるな!
山ほどの「生き恥」「赤恥」をかくことを恐れるな!

「不毛な競争社会」なんて捨てて、ダラダラと自由に生きよう! 生きてみよう!

04 名前:全裸主義者_外山恒一  発信日:2002年 2月22日(金) 22時05分
全裸主義者、革命家も寒い夜には、時々、弱気になる……。

あぁもう、俺はこのまま生きててどうなるというのか?
見通しない、やりたいこともない。
家庭もないし恋人もいない。
本当に守るものがあるのか?
他にもいるのかな、こんな人間。
いやまあ、そりゃ、数え切れないくらいいるんだろうけれど。
いたとしてもそれがなぐさめになるかと全然ならない。
自分より不幸な人間がいてもそう。
他人のことなんてどうでもいい。
うらやましいと思ったりとかさ、まだましだと思ったりとかさ、
そうゆうんじゃない。
ほんとにもうすかすかなんだな。
もうすっかり全部投げ出してひきこもって暮らしたい。
でもそうもいかない。
しがらみがあるのよ。
いろいろあるのよ。
好き勝手なんか許されない。
誰が許さないかというとほかでもない自分なのよ。
縛られ続けるよ。
そこまで壊れられないよ。
結局どっちつかず。
どこまでいっても中途半端。
他人にとって害にもならないし益にもならない。
先は見えてる。
分かっちまう。
楽しいこともない。
嬉しいこともない。
目指すものもない。
あーもう、俺は何のために生きているんだろう?
俺はこのまま生きててどうなるんだろう?

ほんとうに俺の人生、行き詰まってしまったのかな?

05 名前:全裸主義者_外山恒一  発信日:2002年 3月 1日(金) 01時19分
外山恒一 活動史

1970年7月26日
鹿児島県国分市で生まれる。4才の時に福岡に移住、以後、福岡で主に育つ。

1983年4月
福岡市の私立西南学院中学に入学。左翼偏向教育と云われても仕方がない同校の雰囲気に無意識のうちに影響されたようだ。しかし、在学中はまったくのノンポリで、「受験競争」はイヤだなあと漠然と考えていた程度。推理作家を目指して、毎日原稿用紙に向かっていた。外山の文章技術は、この時期の修行によるもの。

1986年4月
福岡市の私立中村学園三陽高校に入学。第一期生だったため、異様に管理が厳しかった。
入学後わずか一週間目にして、職員室に単身抗議、闘争の日々が始まる。
教師との議論では、まず負けなかった。

1986年9月
鹿児島県立加治木高校に転入学。ここでも、生徒管理への抵抗の日々。
ソフトな管理ではあったが、前の高校で闘争が癖になってしまったか。社会問題に目覚めたのもこの頃。
放課後の空き教室を勝手に使って自主講座など開設していた。

1987年9月
福岡県立筑紫丘高校に転入学。ここでもやっぱり闘争の日々。
いくら「自由な校風」を売り物にしてても、もうだまされなくなった。
学校の枠を超えた高校生の政治グループ「ほんとの自民党」を結成。党員10余名。

1988年1月
「政治活動」を理由に無期停学処分。50日の長きにわたって処分解かれず。

1988年4月
高校3年になると同時に自主退学。

1988年5月
「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」を結成し、福岡市周辺の駅前や高校前などで、仲間を募るビラまき活動を始める。

1988年8月
首都圏で学校当局と闘う高校新聞部員たちの自主合宿・高校生新聞編集者関東会議に参加。
初めて同世代の「同志」たちに出会う。

1988年12月
仲間を求めての全国行脚で、初めてヒッチハイク。

1989年1月
単行本デビュー作『ぼくの高校退学宣言』(徳間書店)刊行。

1989年2月
印税で、福岡市南区にDPクラブの「事務所兼たまり場」として1DKのアパートを借りる。
出入りするメンバーも、出版を機に一挙に増大。

1989年3月
社会派な高校生を全国各地から発掘し、80余名を結集させた合宿イベント・第一回全国高校生会議に実行委員の一人として参加。後の「同志」の大半をここで得る。

1989年8月
初めて路上でギター弾き語り。福岡ストリート・ミュージシャンの第1号となる。

1989年9月
穏健リベラル路線のメンバーと過激ラジカル路線のメンバーとの対立激化によりDPクラブ分裂。
もちろん、外山は後者。(ここまでを「前期・DPクラブ」と呼ぶ)

1990年3月
第二回全国高校生会議(参加者80余名)。

1990年4月
分裂による活動停滞を打破するため、活動目的で福岡県久留米市立南筑高校に新1年生として入学(潜入?)。
その目的は達せられなかったが、改めて学校の内部を観察する機会となり、外山の学校論のレベルを飛躍的に上げた。

1990年6月
前期DPクラブの活動報告集『ハイスクール「不良品」宣言』(駒草出版)を刊行。

1990年7月
神戸高塚高校で「校門圧死事件」。
DPクラブは、「それでも起ち上がらない生徒」を攻撃するビラを現場で配布。
この行動を機に、DPクラブの活動は急激に先鋭化した。
(これ以前を「中期・DPクラブ」、これ以後を「後期・DPクラブ」と呼ぶ)後半高校生会議系の「同志」たちとともに全国各地の教育市民運動の集会等を「粉砕」してまわり、恐れられる。

1990年11月
校門圧死事件をめぐるDPクラブの活動レポート『校門を閉めたのは教師か』(駒草出版)刊行。

1991年1月
日本縦断ヒッチハイク敢行。

1991年3月
第三回全国高校生会議(参加者40名前後)。

1991年5月
その過激な方針が、あちこちからの非難を招き、孤立無援となって活動停滞に陥ったDPクラブ解散。

1991年12月
路上でのギター弾き語り(「街頭ライブ」)に、徐々に取り巻きの常連が増える。
これが、現在に至る福岡ストリート・ミュージシャン文化の始まり。

1992年4月
尾崎豊の死に衝撃を受け、突然パンク・ファッションに(長続きせず)。

1992年8月
ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争。

1992年10月
東京・三鷹に文筆業の出張拠点として1DKのアパートを借りる。

1992年11月
DPクラブの全活動史を総括した『注目すべき人物』(ジャパンマシニスト)刊行。
1993年前半『週刊SPA!』の「中森文化新聞」に「反教育の革命児」として連続登場、一躍、注目を浴びる。
かに思われたが、結局、たいした変化はなし。

1992年2月
宝島社の音楽雑誌『バンドやろうぜ』に「つれづれパンク日記」連載開始(95年夏まで)。

1992年4月
街頭ライブ・ムーブメント高揚の日々の日記『さよなら、ブルーハーツ』(宝島社)刊行。

1992年8月
旧高校生会議系の同志と、東京で「退屈お手上げ会議」開催、全国から百余名の若者が集まる。

1992年10月
福岡で「反共左翼革命結社・日本破壊党」を結成。

1992年11月
福岡イムズビル・寺山修司展粉砕闘争。

1994年7月
公安調査局事件。

1994年12月
狂ったように執筆。街頭ライブ運動の5年間を総括した単行本用原稿『アスファルトばかりじゃない』(450枚)、恋愛自伝『恋と革命に生きるのさ・第1篇』(300枚)、アジ文『いじめられたらチャンス』(100枚)を次々と一気に完成させるも、どれも未だ刊行のメドなし。

1995年1月
阪神大震災・物見遊山ツアー。

1995年2月
東京で「だめ連」と出会い、強い影響を受ける。

1995年3月
オウム事件などを引き金として、破壊党を「革命結社・ユルサン」に改称、「だめ連」ふうのソフト路線を狙うがうまくいかず、機関誌『ミトメン』を1号出しただけで、自然消滅。

1995年7月
街頭ライブの出稼ぎ拠点として鹿児島市にワンルームの風呂なしアパートを借りる(この瞬間、全国にアパート3部屋)。

1995年8月
東京・三鷹のアパートを引き払う。

1995年10月
鹿児島のアパートを引き払う。

1996年1月
『読売新聞』九州版に月1回のコラム連載開始(1年間)。

1996年2月
前年の震災とオウム事件のショックで、すっかり失語症に陥り、文筆も革命運動も大スランプと化し、丸7年間活動拠点としていた福岡市内のアパートを引き払い、実家にこもる。

1996年8月
心機一転を図り、東京・阿佐ヶ谷にワンルームの風呂なしアパートを借りて上京。
免許を取得したばかりの原チャリで引っ越す。

1996年10月
ヒットチャートから社会情勢を分析する座談会企画「ヒット曲研究会」スタート。

1997年2月
高い家賃負担に耐えきれず、やむなく東京撤退。母親に滞納家賃を払ってもらう。
福岡市内に6畳2間の風呂なしアパートを借りる。
実は、ここも99年後半、生活苦に陥り、母親に家賃を払ってもらうことに……。
典型的なだめ男である。自分こそ「だめ連」に最も相応しい男との自覚を深める。
外山恒一を『ミトメン』の声多し。

1997年5月
『じゃまーる』等を利用し、「だめ連」ムーブメントの本格的な福岡輸入を画策。
新たに確立されたネットワークを基盤とした交流誌『ザ・コーネ』を発行する。

1997年6月
「相田みつを」をコケにしたパロディ『ぺりかんだもの』発表。

1997年8月
HP「恋と革命に生きるのさ」開設。

1997年10月
外山恒一を編集長とした商業タウン誌『ムーブメント』創刊が内定し、計画始動するも、しばらくのち、ポシャる。

1998年4月
ヒット曲研究会をテープ起こしした単行本『ヒット曲を聴いてみた』(駒草出版)刊行。
同月「自由民権運動・ラジカル九州」結成。

1998年5月29日
日高明子と初めて肉体関係をもつ。以後、度々、セックスを行う。

1998年9月
「無職青年社」を名乗り、社歌として替え歌メドレー『青年は仕事をやめる』発表。
読書会「柄谷行人研究会」スタート。

1999年1月初旬
セックス相手の日高明子から、妊娠を告げられる。

1999年1月19日
日高明子、市内の病院で、妊娠中絶手術を受け、外山恒一の子供を殺す。

1999年2月
「だめ連・福岡」結成に関与。

1999年3月
ミニコミ『自慰MEN'99』刊行。

1999年3月8日午前6時 福岡県福岡市南区野間1丁目19番5号 リトルハイツ野間202号室
外山恒一、日高明子への傷害事件発生。鼓膜破裂の重傷。

1999年4月
「投票率ダウン・キャンペーン」展開。
5月〜7月、恋愛関係のこじれからストーカー闘争を展開。
周囲を巻き込んで人間関係がズタズタとなり、「自由民権運動・ラジカル九州」や「だめ連・福岡」も崩壊。

1999年5月から7月27日までの約3ケ月間
日高明子への執拗なストーカー行為を行い、日高明子を怯えさせる。

1999年7月
精神病院に通いはじめる。

1999年8月
街頭ライブ10年目にして初めてのライブハウス単独ライブ。
オリジナル、替え歌、モノマネと多彩な芸を披露し、30余名の客を集めた。

1999年9月
広島のテント劇団「風狂フーガ」、京都のテント劇団「魚人帝国」の福岡公演に現地スタッフとして関わる。

1999年10月
東海村の臨界事故を契機に反原発運動を開始し、「九州電力を叱り励ます会」結成。
作ったビラはウケたが、実質、活動せず。

2000年2月
ミニコミ『ネオダダ短歌』刊行。

2000年3月
東京・銭湯利用者協議会幹部・山の手緑へのテロ敢行。

2000年12月
セックス相手であり、妊娠させ、妊娠中絶もさせた元交際相手――日高明子への 傷害罪で告訴される。

2001年2月
セックス相手であり、妊娠させ、妊娠中絶もさせた元交際相手――日高明子から民事で告訴される。

2001年2月28日
刑事裁判第一回、始まる。

2001年8月27日
セックス相手であり、妊娠させ、妊娠中絶もさせた元交際相手――日高明子への傷害罪で福岡地裁から、第一審判決、下る。
懲役10ヶ月の実刑判決。

2002年3月
セックス相手であり、妊娠させ、妊娠中絶もさせた元交際相手――日高明子への傷害罪の控訴、福岡高裁によって棄却。 

2002年4月
自身プロデュースのバンド「ハーメルン」初ライブ。

2002年5月14日
福岡県の女性弁護士への「名誉棄損罪」で、福岡県警に逮捕され、拘留される。以後、「塀の中」。

2002年7月10日
セックス相手であり、妊娠させ、妊娠中絶もさせた元交際相手――日高明子への傷害罪の上告、最高裁によって棄却。
これで、懲役10ヶ月の実刑判決が確定。刑務所行き。服役開始。

2002年7月23日15時から16時まで 
女性弁護士への名誉毀損裁判、第一審、第1回公判。
■場所 福岡地方裁判所第305号法廷 福岡市中央区城内1番1号

2002年 8月22日
女性弁護士への名誉毀損裁判、第一審、第2回公判。

2002年10月10日
外山恒一の女性弁護士への名誉毀損裁判、第一審結審。検察側の求刑、懲役1年。

2002年11月12日
外山恒一の名誉毀損裁判の第一審判決、下る。名誉棄損として懲役1年。実刑判決。執行猶予なし。

06 名前:だめ連福岡管理人 矢野通彦  発信日:2002年 3月 2日(土) 23時30分
だめ連福岡管理人 矢野通彦 (30才 1973年10月29日 富山県富山市生まれ。1996年3月、徳山大学経済学部卒業)

西日本新聞より転載
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ネットでうそ 弁護士を中傷 −福岡中央署 容疑の男、逮捕」

 福岡中央署などは、2002年5月14日、自分のホームページ(HP)に弁護士を中傷する嘘の文章を書き込んで、インターネットで発信したとして名誉毀損の疑いで福岡市南区高宮四丁目、自称執筆業の外山恒一容疑者(31)を逮捕した。
 外山容疑者は、容疑を否認しているという。
 調べでは、外山容疑者は、2001年8月19日、同市中央区内の弁護士(52)の女性について「息子にテレクラをやらせて、男性関係に悩んでいる女性を探し出し、弁護士のクライアント(顧客)を獲得している――などと中傷する虚偽の内容の文章を書き込み、自宅からネットで発信した疑い。
 被害に気がついた弁護士が、2001年9月中旬、外山容疑者が契約しているプロバイダーに問題文書の削除を求め、2002年1月に刑事告訴していた。
 HPには、削除されるまでの約一カ月間で、約二万件のアクセスがあったという。
 同署によると、被害を受けた弁護士は、外山容疑者が、2001年1月、傷害事件を起こし、民事訴訟で訴えられた元交際相手の弁護士と同じ事務所で働く同僚。
 同署は、外山容疑者が、逆恨みしたのではないかとみている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

07 名前:福岡地方裁判所第2刑事部  発信日:2002年 3月 5日(月) 19時01分
外山恒一による日高明子への傷害事件 第1審判決
平成13年8月27日宣告 裁判所書記官 中原竜太 
平成12年(わ)第1,679号 傷害被告事件

判 決


1 被告人
    氏名   外山恒一
    年齢   昭和45年7月26日生
    本籍   鹿児島県姶良郡隼人町住吉96番地の2
    住居   福岡市南区高宮4丁日14番35号 結城アパート1号室
    職業   自称革命家

2 検察官     山崎敬二
3 国選弁護人  塩川泰徳

主 文

被告人を懲役10か月に処する

理 由

(犯罪事実)

 被告人は,平成11年3月6日午前6時ころ,福岡市南区野間1丁目19番5号リトルハイツ野間202号室の日高明子方において,同女(当時26歳)に対し,その側頭部等を平手及ぴ手拳で、多数回にわたって、殴打する暴行を加え,よって,同女に加療43日間を要する右外傷性鼓膜穿孔の傷害を阜わせた。

(証拠)(括弧内の甲,乙の別・番号は、検察官の証拠等関係カードの請求番号を示す。)
被告人の公判供述
被告人の検察官調書(乙3),警察官調書(乙2)
日高明子の検察官調書(甲7,8),警察官調書(甲5,6)
写真撮影報告書(甲10)
診断書(甲3)
病状調査照会回答書(甲4)
(補足説明)

第1 被告人の主張
 被告人は、るる主張するが,その要旨は,次のように理解できる。
・ 平成11年6月17日,示談が成立したのであるから,事件発生から相当期間経過後、起訴して、処罰することは,私的自治の原則,民事不介入の原則に反する。
 被告人と攻治的に対立する左翼市民団体が日高明子(以下,「被害者」という)を利用して,被告人の思想表現の自由,言論の自由を弾圧するため告訴させた。
 警察は,被害者から被告人のストーカー行為について相談を受けたが,被害者の背後に警察の不祥事に対して極めて厳しい姿勢をとっている左翼運動がついているので,警察の体面を守るため本件を無理矢理、立件した。
・ 本件は,実質的には,本件後に発生したとされる別件(裏付け証拠がないストーカー行為等の規制等に関する法律違反)を処罰するためのものである。
 したがって,本件は起訴自体が不当であるから無罪である。
 そこで,以下検討する。
 (なお,「被」の記載及ぴこれに続く番号は,証拠等関係カードに記載された被告人請求番号を意味する。)

第2 判断
1 一連の経緯
 関係各証拠によれぱ,本件が起訴されるまでの経緯として以下の事実が認められる。
 被害者は,本件前から被告人と性交渉を伴う交際をする中で妊娠し,妊娠が判明した際の被告lの対応に失望するなどして、平成11年1月中絶手術を受け,被告人に対して別れ話を出していたが,そのような中で,同年3月8日、本件が発生した。
 被害者は,従前の交際の経緯もあり,直ちには警察に対して被害届を提出しなかった。
 ところが,本件後も,被告人が被害者宅を頻繁に訪れたりするので,被害者は平成11年4月下旬、被告人に対して明確に別れを告げ,同年5月転居したものの,被告人は、その後も被害者に頻繁に連絡を取り,面会を求めた。同年6月17日,被害者は,被告人によるつきまといを止めさせたいという思いから,被告人と週1回会うなどの内容が盛り込まれた協定書(被38)に同意した。
 被害者は,同年7月26日ころ,この日に被告人と会うことにしていたところ,被告人と会う日を別の日にして欲しいと頼んだことを契機に,被告人から,被害者宅へ押しかけられた上,怒鳴られ,被害者方のドアを叩かれたり、蹴られたり,更に,被害者方の窓ガラスに石を投げ付けられて、割られたりした(以下「器物損壊事件」という)ため,110番通報した。
 平成11年7月29日,被害者は,福岡県中央警察署に対して,本件及び器物損壊事件につき事情を話した。
 同年8月7日,被害者は,器物損壊事件の際割られた窓ガラスの写真を中央警察著に提出し,被告人からの連絡手段を遮断するため、同月12日、再度、転居した。
 中央警察署の担当警察官は,同月19日、被告人とその母親を呼び出し,その際,被告人が本件及ぴ器物損壊事件について、いずれも自己が行ったことを認め,今後、二度と同じ過ちを繰り返さない旨の申立書を作成したことから,被告人に対して、厳重注意を行うにとどめた(甲1)。
 被告人は,同年10月上旬ころ,被害者の旧住所に宛てて手紙を出し,その中で,被告人が、被害者方のガラスを割ったのは,被害者の態度が悪かったためである等の内容を記載し,この手紙は,被害者の転居先に転送された。
 同月18日ころ,被害者は友人から,被告人から預かったということで「月刊外山恒一」と題する被告人発行にかかるミニコミ誌を渡されたところ,そこには被害者が被告人を傷つけた旨の被告人の記事が掲載され,更に,被害者の不誠実と無責任に対する報復の意味をこめて,今後,被害者との関係の問題については原則として実名入りで報道する旨の注意書などが記載されていた。
 このミニコミ誌を見て,被害者は中央警察署に相談した。
 被害者は,その後も不安な日々を過ごしていたところ,平成12年3月18日,従前中央警察署で被害者の相談に乗ってくれていた警察官から,被告人が、つきまとっているのであれば本件の披害届を警察に提出してはどうかという連絡が入ったことから,翌19日,本件後の前記ミニコミ誌による中傷や被告人によるものと理解していた当時同棲していた新しい恋人に対する嫌がらせ行為などを止めさせたいとの思いから,中央警察著に本件の被害届を提出し,同月27日,本件の告訴状を中央警察暑に提出した。
 その後も被告人は,同年5月8日,被告人の実名で雑誌「AERA」の取材に応じ,同月15日号の「AERA」には被告人の実名入りでインタピュー記事として,「交際していた彼女が妊娠し,その後中絶した。同女を拳で複数回、殴って鼓膜を破り,告訴された」旨の記事などが掲載されていた。
 その後、本件の捜査が進展し,同年12月25日検察官が本件を起訴した。

2 判断
・ 本件が起訴されるまでの一連の経緯は前記のとおりであって,被害者は、木件発生直後頃は、それまでの被告人との交際経過に鑑みて,被害申告することを躊躇していたものの,被告人から執拗につきまとわれたり,ミニコミ誌で中傷されたりする中で転居を重ね,被害申告・告訴の意思を強めていったことが認められ,被害者が、事件から、約1年後に告訴した経過に不自然さはない。
 本件で被害者が受けた傷害の程度は、加療43日間を要するもので軽傷ではなく,殴打回数が多く、犯行態様が執拗であることなどに照らすと,本件は悪質な事案であるから,検察官が起訴したことに何ら不自然,不合理な点はない。


・ 示談は、民事上の紛争の解決手段にすぎず,示談の成立が、起訴の適法性について直接的な影響を与えるものではない。被害者が前記「協定書」(被38)の作成に応じたのは,被害者の方から別れ話を持ち出された被告人が被害者をあきらめきれず執拗につきまとうため,被害者としては,被告人から被害者に対する面会,手紙等の接触手段を制限することにより、トラブルの発生を防ぐことを考えたからであって,協定書自体は本件に全く触れておらず,協定書をもって本件についての示談と評価できるものではない。
 刑事事件を起訴するかどうかは,検察官が犯罪の軽重,情状等を考慮した上で決めるものであって(刑訴法248条),告訴の経緯が起訴の適法性に直接影響するものではない。
 告訴の経緯につき,被告人の主張に沿う内容の被告人の公判供述,陳述書(被37)は信用性がない。
 また,警察が本件を立件しなければ体面を保てないという事情も認められない。


・ ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成12年法律第81号)は,平成12年5月24日に公布され,同年11月24日施行されているところ,施行前の行為について同法違反による刑事責任を問われることはないから,施行前に警察が被告人を同法違反の被疑者として捜査をしたとは考えられず,警察が被告人につき、同法違反罪を被疑事実として捜査したことを前提とする被告人の主張は前提を欠いている。
 その他,被告人がるる主張するところを十分検討しても,本件起訴に不当な点はない。
 以上のとおりであるから,被告人の主張は失当であり,採用できない。


(法令の適用)
 罰条        刑法204条
 刑の選択      懲役刑
 訴訟費用の不負担  刑事訴訟法181条1項ただし書

(量刑理由)
 本件は,被告人が,被害者の頭部等を殴打して判示の傷害を負わせたという事案である。
 被告人は,平成11年1月上旬ころ妊娠に気づいた被害者から相談を受けた際に冷淡な態度をとったことで,その後中絶手術を受けた被害者の気持ちが被告人から離れるや,態度を一変させて執拗に被害者に追いすがり,被害者との関係を修復できないことに苛立ちを覚える中,被害者の体調の不具合や傷ついた精神状態を省みず,自己の欲望の赴くまま性交渉を迫って拒まれるや,激高して、本件犯行に及んだもので,極めて身勝手かつ自己中心的な動機に酌量の余地はない。
 犯行態様も,早朝、嫌がる披害者のパジャマ等を無理矢理、脱がせ,それでも被害者が、背を向けて被告人との性交渉を拒否する態度を示しているのに,そのことに立腹して,被害者の背後から、いきなり右側頭部を強打し,被害者から「こんなのは強姦だ」と抗議されると更に激高して,手拳や平手で,被害者の全身を殴打し,殴り疲れるまで「止めて」と叫んでいる無抵抗の被害者を多数回にわたり、殴打し続けたもので,その態様は,執拗かつ悪質である。
 被害者は,妊娠が判明した際、被告人がとった冷たい態度により,被告人から気持ちが離れたのであり,被害者の心が、被告人から離れた原因は被告人自身が作ったもので,被害者には被告人から判示のような暴行を受けるべき理由は全くない。
 確かに本件は,交際していた男女間の出来事ではあるものの,被告人の自己中心的性格に起因しており,本件の非は被告人側にある。それにより,被害者は加療43日を要する右外傷性鼓膜穿孔の傷害を負っており,その結果にも重いものがある上,被害者は被告人から全身を殴打されたことで,その日は病院にも行けずに部屋で寝ていたほどであり,被害者の被った恐怖感や肉体的精神的苦痛は大きい。
 加えて,被告人は,犯行後,わずかに,被害者に対して後悔等の気持を伝えた程度で,真牽な謝罪,慰藉の措置を講じなかっただけでなく,むしろ被害者方へ押しかけて面会を求めたり,被害者方の窓ガラスを割ったり,雑誌社に対して被害者の妊娠中絶という極めて私的で,かつ,当然、秘密にしたいと思う事柄を,被告人の実名を出して掲載させるなどし,被害者の神経を逆撫でするような配慮に欠けた行為を行って被害者を誹講中傷し,被害者の怒りをかき立てているのであり,犯行後の情状は極めて悪い。
 それらにより被害者が本件犯行によって受けた精神的被害は増幅され,被害者は本件後数回にわたり転居し,事件後も不安な日々を送っており,被害者が受けている精神的打撃も大きく,被害者の処罰感情は厳しい。  更に,被告人の公判における供述態度やその内容から見ても反省の深まりはない。
 これらの事情によると,被告人の刑事責任には重いものがあるから,被害者が受けた鼓膜穿孔は、閉鎖し、治癒したこと,被告人が本件公訴事実自体をほぼ認め,被害者やその現在の交際相手に今後、危害を加えるつもりはない旨、供述していること,被告人には前科がないことなどの被告人に有利な事情を十分、考慮しても、なお,本件は、刑の執行を猶予すべき事案ではなく,主文掲記の実刑に処するのが相当である。

 よって,主文のとおり、判決する。
 (求刑懲役1年)
   平成13年8月27日
   福岡地方裁判所第2刑事部

裁判長裁判官   林秀文
裁判官      一木泰造
裁判官      永井美奈

08 名前:Mainichi INTERACTIVE  発信日:2002年 4月 1日(月) 04時25分
http://www.mainichi.co.jp/digital/netfile/archive/200205/14-2.html
福岡・中央署は14日、インターネットを使って弁護士を中傷したとして、福岡市南区高宮4、執筆業、外山恒一容疑者(31)を名誉棄損容疑で逮捕した。
調べでは、外山容疑者は、昨年、8月19日午前0時ごろ、自分のホームページ上に、福岡市の女性弁護士を「自分の息子にテレクラをやらせて、男性関係に悩んでいる女性を探し出させ、クライアントを得ている」と中傷する文章を書き込んだ疑い。
外山容疑者は、99年3月に交際していた女性を殴る傷害事件を起こした。
女性は、01年1月、外山容疑者を相手に損害賠償を求め、提訴。

この女性の弁護を担当している弁護士の事務所の同僚で、リーダー的だった女性弁護士を逆恨みしたとみて追及している。

09 名前:革命軍・軍報  発信日:2002年 4月12日(金) 05時10分
 銭湯協・山の手緑に革命的鉄槌!!

 去る2000年3月18日午後1時、わが外山恒一同志は、反革命・銭湯利用者協議会の頭目、山の手緑に対して、階級的怒りの鉄槌をふりおろした。
 これは、「『親密な暴力』への介入」と称して、外山同志の私的な恋愛関係のこじれに便乗して福岡の運動を滅茶苦茶に破壊するという、日本革命史上、前古未曾有の反革命集団に対して、ふりおろした怒りの鉄槌である。
 わが外山同志は、同集団のもう一人の頭目である渡辺洋一(活動家名・矢部史郎)が、この日、バイトで不在であり、山の手が、おそらく一人で事務所にいるであろうことを事前の情報から捕捉していた。
 午後0時50分ごろ、反革命の拠点にほど近いJR高円寺駅の公衆電話から無言電話をかけ、確かに山の手がそこにいることを再確認し、すみやかに反革命拠点たる高円寺北の三進ビル3階へと向かった。
 激しくノックをする。
「宅急便でーす!」
 外山同志の絶妙な芝居に、山の手は何の警戒心もなく、何か素敵なプレゼントでも届いたのだろうかと小躍りしながら、ドアを開けた。

 常日頃、『情狂』や『糞藝』誌上(それぞれ『情況』、『文藝』のこと――立花註)で、「すべてのみなさんに愛をこめて、また、階級闘争の全面化にむけて、ともにがんばりましょう」(『情狂』99年5月号「負債とファシズム」)だの、「私の主張としては、大衆とともにあろうということ」(『糞藝』2000年春号「三〇〇〇円以上、一万円以下」)だのと威勢のいいゴタクを並べている彼らだが、山の手が、わが外山同志に面と向かったときに、彼女が、発した唯一のことばは、“キャー、ヤメテー、ヒトゴロ……”とか、細い声で、わずか二言半叫ぶのみ、その場にへなへなとへたり込んでしまうことでしかないという、革命家として未熟な態度を示したのである。
 “「親密な暴力」への介入”のことばのもとに、地域に根差した運動の破壊を賞揚していた女が、本質的には、小心者で、自分では、ろくすっぽ「敵」に対峙することすらできない女であることを、わが外山同志に対する対応の中でバクロしたのだ。
 外山同志は、思わず、一瞬、憐憫の感情をもよおしたが、この程度で満足するほどわが怒りは浅くはない。 我々は、「傷の深さと血の量」をこそ、せん滅度をこそ、目的意識的に追求するのである。
 まず、へたりこんだ山の手の頭上に「こいつが、福岡の運動を滅茶滅茶に破壊したのだ」という渾身の怒りを込めた鉄拳が容赦なく、ふりおろされた。
 つづいて「これがオレ自身の怒り、これが日高明子の怒り、これが船岡俊輔の怒り!」
 4発、5発……と鉄拳がふりおろされ、ついに彼女は反革命分子としての「生涯」に革命的ピリオドを打たれ、ぴくりとも動かなくなった。

 そこへ、それまで、ただただ呆然と部屋の隅でおろおろコトの成り行きを眺めていた反革命集団の付和雷同的同伴分子・松丸一美が、やおら我に返り、「ヤメナサーイ!」などと半狂乱の悲鳴を発しながら、駆け寄ってきた。
 わが外山同志は、松丸をジロリと一べつし、血まみれになった反革命の「屍」にたっぷりツバを吐きかけ、颯爽と身をひるがえすと、杉並警察の警戒網を易々とかいくぐり、堂々と撤退を完了したのである。
 我々は、血を血であがなう戦いをよしとするものではない。
 山の手に対して鉄槌を加えたのも、再起不能の重傷を負わせることが目的ではなかった。
 彼女が負傷したのは、外山同志の燃えたぎる階級的怒りが、鉄槌の一ふり一ふりにおいて表現されたことの結果である。
 付け加えておくならば、外山同志は撤退に際し、表紙に「洋一・山の手へ まだ同志だ。数年後に再会しよう」と書き込んだ自身の最新の小冊子『ネオダダ短歌』を現場へ遺し、これが党派闘争における仁義を遵守したものであるというアリバイ作りを忘れなかった。

http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/gunpo.html

10 名前:外山恒一VS矢部・山の手(銭湯利用者協議会)  発信日:2003年 4月17日(水) 10時22分
 なぜ山の手緑をテロったのか 1

 話せば長くなる。だが話さざるを得ない

 銭湯利用者協議会の渡辺洋一(活動家名・「矢部史郎」)と山の手緑は、長年の「同志」であり、98年には共著で本(『ヒット曲を聴いてみた』)まで出した仲である。
 ぼくは、2000年3月18日、銭湯利用者協議会の山の手緑をテロった。
 といっても、拳で頭や顔を3、4発殴っただけだが。
 なぜ、そんなことをしたのか、きちんと弁明しておこうと思う。

 とくに洋一とは89年の第一回全国高校生会議以来、10年来の「同志」だ。
 山の手緑とは、93年の退屈お手上げ会議で出会い、当初はその(実際に会った者には説明するまでもないことだが)エキセントリックでファナティックな、ちょっとでも気に入らないことがあればすぐにヒステリーを起こす独特のキャラクターに猛烈に反感を抱いたが、彼女が洋一とコンビを組んだ関係上、頻繁に顔を合わせざるを得ず、そのうち「なかなかいい奴じゃないか」と思うようになっていた。
 特に96年から98年にかけての時期は、二人はぼくの全国レベルでの最良の「同志」となっていた。
 その彼らと敵対関係に陥ったのが、99年3月のことである。

 事情が非常にこみいっているので、分かりやすく順を追って話そう。

 95年、震災とオウムの年だが、この年にぼくは東京で「だめ連」と出会い、その作風に計り知れない衝撃を受け、「これを福岡でやろう」と決意した。
 が、「だめ連」のペペ・神長とぼくの生来のキャラの違いからだろう、なかなか思いどおりにコトが進まず、ぼくはついにギブアップして、心機一転、それまでの「地元での活動にこだわり続ける」という方針をいったん撤回して、96年夏、東京に移転した。
 結局、この東京生活は、家賃の高さとそれに比しての間取りの狭さからほとんどノイローゼ寸前になってわずか半年ほどで頓挫するのだが、この間に、「銭湯料金値上げ反対と行政による銭湯業者の保護」を掲げる洋一・山の手の運動事務所に頻繁に出入りし、日々議論を交わす中で急速に親密な関係になった。
 それまで、おそらく意図的にではあろうが、度量の狭い作風(些細なことですぐ仲間を「反革命」として切り捨てるような)で運動展開していた二人が、「丸くなった」と周囲に云われるようになったのは、実は他ならぬぼくの成果だと内心思っている。
 彼らも参加者として関与した座談会「ヒット曲研究会」の活動が、流行歌を聴くような連中を「ブルジョア的」と排除し、カラオケすら「党として禁止」していた彼らの作風をソフトに変えたという側面は、強調しておいてよいと思う。
 前述のとおり、半年の東京生活から撤退し、97年2月、また福岡に出戻りしたぼくは、「福岡版だめ連」形成の運動をゼロから再スタートすることになった。
 創刊されたばかりの『じゃまーる九州版』などを活用し、同年夏には30人ほどのネットワークが福岡で形成され、6畳2間のぼくの新しい「拠点」はあれよあれよという間に賑やかになっていった。
 97年夏から翌98年初頭にかけての約半年が、福岡の運動の第一の高揚の波だったのだが、洋一・山の手の二人が初めて来福したのはそのピークの時期にあたる97年8月だった。
 わずか2泊3日の福岡訪問だったが、その盛り上がり具合に二人は狂喜して帰っていった。
 だがこの「福岡版だめ連」の第一の波は、運動とは名ばかりの運動、ただ連日、飲み会を繰り返すだけの、運動としての体を成していないただの交流圏にすぎなかった。
 そのことに、ぼくは次第に苛立ちはじめた。

 「運動」の成立を不可能にしている、サブカル・スノッブ(ぼくのコトバで云えば“渋谷系”)の中心にいたのが、ヘンリーという東京の「だめ連」周辺とも交友のある女だった。
 些細なことで、突然ヘンリーはぼくのことを嫌悪しはじめ、ぼくは渡りに舟とばかりにヘンリーを中心としたサブカル・スノッブ一派を交流圏から排除した。
 98年2月のことである。このため交流圏は一挙に縮小した。
 ぼくは、残った中の数名で「自由民権運動・ラジカル九州」という新グループを結成し、政治色の強い交流圏の再確立を目論んだ。
 これが軌道に乗るのが98年の秋以降なのだが、2回目に洋一・山の手が「銭湯協」の仲間数名を伴って福岡に来たのはその直前の8月のことだった。彼らは、前回来福した時と比べての、交流圏のあまりの沈滞ぶりに、「福岡の運動はうまくいっていない」との印象を持ったようだ。
 詳細は別の機会に改めて書くことにするが、ここにぼくの私的な恋愛問題も微妙に絡んでくる。
 当時ぼくの「恋人」であり、「自由民権運動・ラジカル九州」の中心でもあった日高明子が、ちょくちょく電話などで山の手緑に「相談」を持ちかけていたのだ。
 ぼくは自由恋愛主義者で、「1対1恋愛」を否定していたのが、日高に不安や警戒、嫉妬の感情を抱かせていた。
 それを日高は、「外山さんは運動を、新しい女を漁る場としか考えていない」などと自分に都合のいいように歪曲して、山の手に御注進していたのである。
 どうも山の手は、それを真に受けていたフシがある。
 ヘンリー一派を排除した事情も、洋一・山の手には理解されず、悪印象を与えたようだ。
 福岡の運動が、「うまくいっていない」のは、ぼくのそれらの「方針」のせいであると彼らは判断したらしい。
 自分たちがごく最近まで、寄ってくる新参者たちを次々とブルジョア的だの何だのと理由をつけて排除しまくっていたことは、コロリと忘れてしまっているらしい。
 実際には当時、福岡の運動は「うまくいっていない」のではなく、その直後、98年秋に始まる「福岡版だめ連」高揚の第二の波へ至る「再編期」にすぎなかったのである。
 夏に「オフィスVAD」という、若いノンセクト左翼グループと知り合った。
 東京の「だめ連」のペペと同期の早大出身者が、転勤で福岡にやってきたのを機に結成したグループだったが、「外山系」でない若い左翼グループの登場は、ぼくが福岡で活動を開始して以来初めてと云って過言ではない、画期的な出来事だった。
 秋には、これまた別ルートで、やはりぼくらに年齢的に近い男性が、「メンズリブ福岡」を旗揚げした。
 行政とのタイアップも含めた精力的な活動展開で、同グループはあっという間に数十人規模の大所帯となった。
 99年に入ると、「ウェイブラット」という、引きこもりの少年少女たちの自助グループと関係ができた。
 また、寺山・赤瀬川的な活動を展開する現代美術のネットワークともつながりができた。
 自分たちの「自由民権運動・ラジカル九州」を含め、これらの運動体をヨコにつないだのが、第二期「福岡版だめ連」で、99年3月ごろには総勢百名近い巨大な交流圏が形成されていた。
 こうした成果は、ぼくが前年2月時点でヘンリー一派を切り、政治色を強め、おぼろげながらもある種の「目的意識」をもって活動を展開したことによる、つまり、ぼくの「ヘンリー一派排除」の判断は正しかったのだと今でも考えている。

http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/syuki.html

11 名前:外山恒一VS矢部・山の手(銭湯利用者協議会)  発信日:2002年 4月25日(木) 09時56分
 なぜ山の手緑をテロったのか 2

 ところが、ここでまたしてもぼくの私的な恋愛問題である。
 99年元旦、日高の妊娠という事態が勃発した。
 結局2月に中絶し、ぼくに息子(娘かもしれんが)が誕生することはなかったのだが、この過程で、ぼくと日高の恋愛関係は次第にギクシャクしはじめた。
 運動は盛り上がる一方なのに、私的空間は滅茶滅茶、という状況は奇妙な気分だった。
 3月、ぼくはあることでキレて、日高を殴打した。
 ふだん暴力をふるわない人間が、ガラにもなく暴力をふるうと、加減というものが、分からないから、やり過ぎて鼓膜を破ってしまった。
 もともと、山の手に「運動相談」にかこつけた「恋愛相談」をしていた日高である。
 当然、このことは洋一・山の手の耳にもすぐに入り、99年3月中旬、彼らは「福岡を外山カルトから解放するため」(これは同志・鹿島拾市が、彼らが福岡入りする直前に彼ら自身の口から聞いたフレーズである。洋一・山の手コンビの方がよっぽどカルト人気に支えられているクセして、まったくいい気なものである)と称してやってきた。
 彼らがやったのは、「外山恒一欠席裁判」である。
 要するに、この時期形成されていた「福岡版だめ連」の主要メンバーを一同に集めての、ぼくの悪口大会である。
 もともとワンマン体質を自覚しているぼくのことだから、そんなことをすれば当然、ぼくのやり方への不平不満が噴出する。
 ぼくはあっという間に、自分が築きあげたネットワークから、自分が排除されてしまう恰好になった。
 ぼくはこのことで日高を責めたから、ぼくと日高の関係も、さらに悪化して、日高はノイローゼになって精神科へ通うようになった。

 洋一・山の手は「日高側」に立ったつもりだったのだろうが、彼らのやったことは日高をも苦しめたのである。その証拠に、これ以後、日高は山の手への「相談」をやめている。
 来福の際、ぼくも一度だけ彼らに会った。
 欠席裁判の翌日、ファミレスで、3人で話し合ったのである。
 彼らはぼくに「折伏」を迫った。
 福岡が「うまくいってない」のはおまえのせいだ、「引退」しろ、と云うのである。
 そんな要求が呑めるわけがない。
 第一、彼らが乱入するまで、少なくとも運動面では、福岡は「うまくいっていた」のである。
 会談は物別れに終わった。これが、今回のテロを除いて、ぼくが彼らと直接会った最後である。
 二人が東京へ戻ってからの福岡の運動状況は混乱をきわめた。
 大人数でやるはずだった4月統一地方選に際しての「投票率ダウン・キャンペーン」は、結局、ぼく一人でやることになった。
 「自由民権運動・ラジカル九州」の中心メンバーの一人、伊藤謙児が2月に正式結成した「だめ連・福岡」も、実質、ぼくを排除する形で展開し、単なるサロンと化してまもなく崩壊した。
 百人の交流圏を最大動員して迎え撃つはずだった9月のテント芝居「風狂フーガ」(広島)と「魚人帝国」(京都)の福岡公演制作もガタガタになって、興業的に失敗した。
 日高とも結局夏に悲惨な形で別れた。

 彼らが帰った後の福岡の惨状に激怒して、ぼくは直後の3月23日、「おまえらのせいだからな」「おまえらは加害者だ 本質的に 無自覚な」という文面の2つのFAXを送りつけた。
 ちょっと解説が必要だろう。
 「おまえらは加害者だ」というのは、ぼくが日高を殴った件を彼らが重要視して、最近なにかと問題になっている「ドメスティック・バイオレンス」(夫婦間・恋人間の男から女への暴力。直訳すると「親密な暴力」)の加害者としてぼくを糾弾する、という場面が会談の際、あったことを念頭においている。

 もちろん、ぼくは日高を殴ったことそれ自体を反省していない。
 怒った時には、相手が男であろうが女であろうが、また恋人であろうが赤の他人であろうが、殴っていいのだと当時も今も思っている。


 また、この一種狂乱的な文面は、本来ぼくと日高の問題である私的な恋愛事件に、彼らが「当事者」面をして介入してきたことへの意図的な対応である。
 彼らを逆上させて、本当に「当事者」にしてやろうというぼくの策略だ。
 連中は見事にこの策略にハマった。
 直後に書かれたのであろう、『情況』99年5月号の「矢部史郎+山の手緑」名義の論文「負債とファシズム」末尾の筆者近況報告欄に、山の手緑は錯乱して書いてしまった。

 「先日、知り合いの活動家がサイコパスだったことが判明。運動を組織しながら、女を殴っていた。女を殴るぐらいなら運動なんかやるな。関係者に根回しして排除したら、恨みのファックスを送り付けてきた。気持ち悪い」

 ぼくはこれを読んで狂喜した。

 少なくとも山の手はこれで破綻した。
 ある人は、「サイコパス」なんて「サベツ用語」を平気で使う山の手への嫌悪感を表明した(ぼくはこの批判には同じないが)。
 別のある人は、「昨日までの同志に対してこんな書き方はないだろう」と不快感を露わにした。
 別に構わないが、たしかにヒドいとぼくも思う。
 もっとも本質的な批判が、また別のある人から出た。
 3点ある。
 まず「女を殴るぐらいなら運動なんかやるな」の部分。
 女を殴った奴にも、人を殺した奴にも「運動」をやる権利がある。
 山の手は、清廉潔白な人間にしか「運動」をする「資格」がないというのか。
 そういう山の手自身はそんなに清廉潔白なのか。
 次に「関係者に根回しして排除した」の部分。
 古典左翼的なスターリニスト根性丸出しだ。そして全体的なトーン。
 「あいつはキチガイですよ」なんて口ぶりで他人を貶める心性の下劣さときたら……。
 ぼくが最も腹を立てたのは、連中が、「外山恒一が日高明子を殴った」ではなく、「男が女を殴った」と書いたことだ。ぼくと日高は、ぼくと日高という個別具体的な人格としてではなく、男・女という抽象的な記号として処理された。

 付け加えれば、どうでもいいことだが、まあ百人ほど面識のない他者をランダムに選び、それぞれ個別に外山・山の手と会談させて、「さあどっちがよりサイコパスですか?」と問うたらぼくに勝ち目はないことくらい、山の手を直接知る人間なら誰にでも分かることだ。

http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/syuki.html

12 名前:外山恒一VS矢部・山の手(銭湯利用者協議会)  発信日:2002年 5月 1日(水) 10時13分
 なぜ山の手緑をテロったのか 3

 それ以外の諸点については、これを読む諸兄の判断に任せよう。
 ぼくとしては、やっぱり「恋愛」という局面においては、他の人間関係とは、質の異なる特有の「空気」を帯びるものだと思うし、社会のルール(「法的」? ははは)で、一刀両断してよいものではないと考える。

 恋愛に絡む諸事態は、基本的に「二人の問題」だというのがぼくの立場だ。
 それに、女が(つまり日高が)「孤立し、無力」だという決めつけにも腹が立つ。
 日高もずいぶんナメられたものだと同情する。
 ぼくは、こういう人間観に我慢がならない。
 それに普段、ほとんど暴力をふるわない人間(ぼく)が、たかだか一度「恋人(日高)」を殴っただけで、やれ「家庭内暴力」だ「私刑」だというセンスは、やっぱり「マッド」で「サイコパス」な方のものでしょう。

 ぼくと洋一・山の手コンビが、同志関係から敵対関係に変移した事情は、以上に述べたとおりである。
 しかし、考えてみれば、山の手が、ぼくを攻撃した深層心理には、近親憎悪があったと思う。
 たしかにここ数年、(前に書いたようにぼくのおかげなのだが)山の手は「丸く」なり、寄ってくる新参者たちもそのまま定着して、彼らの運動は盛り上がりを見せている。
 山の手は、たぶん、ヘンリー一派を排除したぼくのやり方に、過去の自分を見たのだ。
 「私が苦労してやっと克服した体質を、まだ外山は引きずっている、キーッ!!」というわけだ。
 ぼくの日高殴打事件と、山の手のぼくへの言論暴力事件と、どっちが「ドメスティック・バイオレンス」かと、よくよく我が身に問うてほしい。
 ちなみに日高は、ぼくと別れた後、彼を知る周囲の誰もが、ぼく以上に「潜在的バタラー」(「バタラー」とは、「ドメスティック・バイオレンス」の加害者男性のこと)と認める船岡俊輔と恋愛関係を構築し、ぼくのもとを去った。
 もしも洋一・山の手の介入がなければ、ぼくと日高の恋愛関係は8割くらいの確率で修復されたろうことを考えると、もしも将来、日高が、また「ドメスティック・バイオレンス」の被害者になった時には、その責任の一端は彼らにあると云ってもあながち間違いにはならないだろう。
 福岡の運動状況もまだ連中の介入に端を発する混乱の尾を引いたまま流動化しており、ぼく自身、99年夏から極度の鬱状態になって精神科へ通院するようになって、現在に至っている。
 「福岡版だめ連」第三期は、当分、来そうにない。

 この1年、洋一・山の手への怒りや恨みで、夜も眠れない毎日を過ごしてきた。
 これは誇張ではなく、それで精神科で抗鬱剤だけでなく、睡眠薬も処方してもらっている
くらいだ。
 これだけ書けば、ぼくが、山の手をテロった気持ちも御理解いただけようと思う。
 これでも理解してもらえないのなら、理解してくれなくてもいいと思う。
 当初は、洋一をテロるつもりでいた。
 山の手は「マッド」で「サイコパス」、つまりテンネンだから、山の手に怒りをぶつけても仕方がないと考えていたのだ。
 それよりも、本来、放っておけば錯乱して何をしでかすか分からない山の手の首にヒモをつけておくのが役目のはずの洋一が、今回、むしろ山の手の錯乱を後押しするような暴挙に出たことに腹を立てたのだ。
 しかも、ぼくと洋一とは、10年来の「同志」だったというのに……。
 標的を山の手に変更したのは何も洋一に喧嘩で勝つ自信がなかったからではない。
 喧嘩が強いことを自慢してもしょうがないが、ぼくは少なくとも、そんなに強くはないが弱くもない。
 喧嘩というのはたいてい、双方によほどの力量差がないかぎり、怒っている方が勝つ。
 だから洋一をテロることは簡単だった。
 山の手をテロったのは、まず第一に今回の福岡の運動破壊の領導者は間違いなく山の手だったこと。
 第二に、山の手が「マッド」で「サイコパス」なキャラを押し通せるのは女だから、つまり女は少々無茶をやっても殴られたりはしないという世間の「良識」に、山の手は甘えているのだというぼくの私見。
 第三、最大の理由は、ぼくが「女を殴った」こと自体を一寸たりとも「反省」していないのだという意思表示である。

 「軍報」での表現は大袈裟である。
 あれは“中核vs革マル”のパロディで、エンタテインメントとして読めるようにとの配慮で書かれたものだ。
 実際のところは、素手で顔や頭を3、4発殴った、という程度の「テロ」だ。
 「ツバを吐きかけ」というのもウソである。
 もっとも、計画としては、ツバを吐きかけるつもりでいたのだが、松丸がいたのは想定外で、慌てて吐き忘れたのである。
 想定外ではあったが、松丸がいて本当によかったと思う。
 そうでなければ、ぼくは、怒りにまかせて思う存分に山の手を殴り続け、間違いなく重傷を負わせていただろうと思うからである。
 それでは何年たっても「冗談」にならない。
 いずれにせよ、現場に放置してきたミニコミの表紙に書きつけたように、ぼくは洋一と山の手を「まだ同志」だと思っている。
 今は、当然無理だし、可能でもお断りだが、「数年後に再会」を願っているというのはぼくの偽らざる本心である。

http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/syuki.html

13 名前:月刊「外山恒一」 第2号  発信日:2002年 5月 5日(日) 21時32分
外山恒一 来年夏までに メジャー宣言!?

・失恋の痛手・説濃厚
http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/s-37.html

「メジャー、メジャー、メジャー……!!」
このところ外山恒一は、何かにとり憑かれたように「メジャー」を連呼している。
その背景には、99年初頭から9月まで丸8ヶ月以上に及んだ日高明子との恋愛抗争があることは、周囲に知らぬ者のない公然の秘密である。
2年間におよぶ交際の果て、別れ話のこじれから消耗しきり、ついには精神科に通うまでに追い詰められた外山、「もうあなたの顔も名前も見たくない」という日高の捨て台詞に俄然、奮起した。
「それなら、本屋へ行けばそこらじゅうに平積み、新聞を開けば連日登場、テレビをつければクイズ番組の解答者、駅に行けばにっこり笑う特大ポスターの山、山、山、コンビニに入れば有線でがんがんかかっている……。日本にいる限り、おれの名前と顔から逃れられないようにしちゃるけ、覚悟しろ」というわけだ。
ルサンチ・エネルギーの質・量ともに右に出る者のいない外山、それをプラスのパワーに転化させ、21世紀のカリスマとして大ブレイクを画策中の様子である。

 注意

当初、当事者2人だけの問題として解決しようと奮闘した外山の努力を踏みにじり、周囲の不特定多数を巻き込む大スキャンダルへと発展させ外山を傷つけた日高の不誠実と無責任への報復の意味もこめ、今後この問題に関しては原則として実名報道とします。

この屈折した愛情表現が、いつの日か日高さんの心に届きますように


14 名前:■セックスフレンド募集 外山恒一  発信日:2002年 6月 1日(土) 20時15分
92年秋、天神周辺の電柱などに手当たり次第に貼ってまわった。
数日を経ずしてほとんど剥がされてしまったようだが、イタズラ電話は異様に多かった。
ほとんど誰もエンタテインメントとして受け取ってくれなくて悲しかったが、後日東京のアート系のミニコミで、偶然このビラを目撃したらしいライターが正当に評価してくれてるのを発見してちょっと気をとりなおす。
ちなみにセックスフレンドは、今でも随時募集しております。
ショートカットでボーイッシュな貴女の応募を心より……。


■セックスフレンド募集
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/akimine/katsudou.htm


15 名前:週刊AERA 編集部 諸永裕司  発信日:2002年 6月10日(月) 16時09分
ストーカー男性の告白
彼女の体を傷つけたい
どうして女性をつけ回すのか。「恐怖」を与えている自覚はあるのか。
実際にストーカーをしている男性に一時間半聞いた。
編集部 諸永裕司
 外山恒一さん(29)は、福岡市在住のフリーライター兼、路上ミュージシャン。
 これまでに五人をストーカーしてきた。
「ストーカーが誤解されている」
 と胸の内を明かした。

    ◇

 ストーカーするのは、恋愛がうまくいかなくなって関係を切られたからです。
 別に悪いことだとは思いません。
 理不尽な形で関係を切られたら、追いかけるのは当然じゃないですか。
 最近では、昨年の春ごろ。一年半ほど付き合った相手です。
 彼女が妊娠したとき、僕は何も言わなかったんです。
 産む産まないは、女性が決めることだと思ってたので。
 結局、彼女は産まなかったんですが、それ以来、心を閉ざしてしまった。
 しまいには無視され、「別れてほしい」と。
 訪ねていっても、会ってくれない。手紙を二日に一通は書き、長いときは便箋十枚に。
 それでもだめで、四六時中、電話をかけてたら、「週に1回だけ会う」っていう約束に。
 でも、彼女がそれも守らないので、石を投げて家の窓ガラスを割ったんです。
 約束を破ったのは、彼女なんです。
 一度だけ、殴りました。拳で三、四発。加減がわからなくて、鼓膜を破っちゃった。
 告訴され、僕も疲れたので、やめましたけど。

 僕にとってのリハビリ

 あきらめたのは、新しくできた男の言う僕の悪口を彼女が信じるようになったからです。
「ああ、わかってくれないんだ」
 そう気づくと、急に冷めたんです。別れ話から三ヵ月がたっていました。

 振り返れば、これまでも似たようなことを繰り返してきました。
 たとえば、昆虫マニアとからかわれたときに全文を暗号化した抗議の手紙を出したり、好きな相手に三年問、誕生日のたびにプレゼントを贈ったり。
 暑中見舞いや年賀状は、好きな人がまわりにバレないよう、クラスメート全員に出していました。

 高校時代は、少女漫画誌の文通欄に載ってる女の子に片っ端から手紙を書き、新しい相手ができるたび、地図帳に赤で印をつけました。
 好きな女の子が寝ている横で、三十分間、寝息をテープに録ったこともあります。

 話を戻しましょう。
 なぜ、ストーカーするのか、ですか。
 自分を否定されて焦るからです。
 存在が危うくなるから、とも言えるかもしれません。
 信じてた相手から切られ、こっちが謝ってるのに、お願いしてるのに受け入れてくれない。
 修復はムリだとわかってても、向かってしまう。

 ときに、相手のことが心配になったりもするんです。
 僕にストーカ−されるのが嫌で、自殺してないかって。
 自宅まで行って自転車がないと、「ああ、逃げたんだな」ってホッとしたりする。
 自転車があれぱ、家の中で死んでないかって、また電話をかけてしまう。
 もちろん、殺してやりたいと何度も思いました。
 入れ墨ができないので、皮をはがして、ペンキを流し込んでやろうとか、僕が、どこかでエイズに罹って、強姦してやろうとか。

 消えない傷を残したくなるんです。
 ああいう殺人事件が起きるのは、よくわかります。
 こっちは拒絶されて傷ついてるわけです。僕をわかってほしい。

 そう思って近づいても、もう相手は心を閉ざしてる。
 なかに入れてもらえない。傷つけることもできない。
 だから、体を傷つけるんです。
 僕がこれだけ傷ついてるんだから、回じように苦しんでほしい、と。
 心の傷は見えないから、目に見えるかたちで。
 初めて彼女ができたのは二十歳のときでした。
 三、四年付き合ったんですが、その間は、ストーカ−はしなかった。
 だれか一人いれば、あんな疲れること、しないで済むんです。
 その「だれか」という安全装置さえ見つかれば。
 僕は、ずっと、ほんとうの「おかあさん」を探しているのかもしれません。
 独りになるのが嫌で、追いかけてるのかもしれません。
 僕にとってのストーカーとは、突き放された自分白身を引き受けられるようになるまでのリハビリのようなものなんです。

「あんた殺して、あたしも死ぬ」
 北海道から、女が訪ねてきたこともある。
 かばんのなかに刃物。「それぐらい僕にこだわってるんだなあ」と外山さん。
 家に上げ、夜は、となりで眠った。

http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/s-55.html

16 名前:小笠原和幸  発信日:2002年 6月15日(土) 19時17分
恋愛不全男 苦しみと癒し

親への反抗あればこそ

 福岡市のフリーライターで、街頭ミュージシャンの外山恒一さん(27)は、自分のストーカー行為や嫉妬心の深さ、コンプレックスの根拠などを、自分で意識化する作業を続けている。
 幼少期の父親への畏怖心、学枚でのいじめ、軟弱な身体への劣等感などを、克明に書き起こし、えぐり出す試みだ。
 外山さんは、以前、恋人との諍いを公表したことがある。
 彼女を「第二夫人」と侮蔑し、無理やり押さえつけて髪を切った出来事を、軽妙な文章にした。
 女性団体や読者から激しく抗議された。
 だが、その文体とは裏腹に、本人が、振り返る当時の気持ちや状況は、暗く自虐的だ。

「ドライでしゃれた接し方をしたいのに、できない。相手への苛立ちは、実は自分の愚鈍さへの怒りだった。あの時、泣きわめいていたのは、ぼくの方だった

 恋愛だけでなく、あらゆることに、一度も満たされたことはないという。
 自分が生まれてきたことに罪悪感さえ抱きながら、夜のアパートの階段で、女性の帰りを待ったこともある。
「彼女を好きになることは、彼女にとって不幸なことだ」と思いながら。

http://www.bekkoame.ne.jp/~kazuyuki.o/30agefuzen.html
http://www.bekkoame.ne.jp/~kazuyuki.o/oga01.html

17 名前:葦原骸吉  発信日:2002年 7月 2日(火) 13時09分
 前述の人物、外山恒一という男は、1980年代後半の福岡で、10代にして「反感理教育」(つまり校則・体罰ハンタイ! とか)を掲げる活動家として出発、18歳の時、自らの高校中退の顛末を記した著書を刊行している。
 その後、福岡を拠点に若者を集めて運動しようとするんだが、集まってくる連中のダメさに逆切れして、左翼批判に回る。
 91年、たまたま中森明夫の目に留まり、「中森文化新聞」にも数回登場、92年頃には、何とSPA!「中森文化新聞」内で西部邁と対談なんかしてる。あとクイックジャパンの創刊初期にも寄稿。
 で、この外山氏も89〜91年頃には「ニセ学生マニュアル死闘編」とか浅羽さんの影響を強く受けていたんだが、93年頃からは左翼に再転向し、浅羽・小林よしのり批判を言い出す。

 要するに一時期は、同じ左翼内の同業他社を批判するのに浅羽言説を利用したクセに、浅羽・小林は、どうも「革命」をダシにしたモラトリアムを死ぬまで続けたい自分らのイデオロギーを否定する物であるらしい、と知るや途端に浅羽批判派に回ったという次第。

 が、中森明夫が、女子高生のことばっか取り上げるようになるに当たり、中森からは、あっさり捨てられ、俺が見る限り、ハシゴを外されてしまった模様。現在も他の自称「90年安保派」若者らと活動中とか。
 しばらく見ないと思ってたら最近、4月か5月の『現代思想』誌に他の仲間とともに出てた。
 もっとも彼は「自称革命家」でライター志向じゃないからメディア露出には、そんなに関心はないようだが。

 この外山の思想は、一言で言って「革命をダシにしたモラトリアム正当化」だ。
 口じゃ「革命!」と叫ぶが、本気で、国家を打倒して、自分らの政権を打ち立てる気などまったくなく、「革命ごっこ」で、一生、遊んでいたい人たちである。
 ある種、「今だに80年代面白主義真理教のサヨク版」みたいな物である。ただ、それを正義だと思い込んでる点は、ある意味で消費快楽主義だけのおたくより、勘違いが激しく、手強いかもや知れぬ。
 つまり『○の真×』図式で言えば、「子供のままでいいのだ派」の最右翼、もとい最サヨクである。
 はっきり言って、へたすりゃオタクより、ダサい(笑)。

http://www.axcx.com/~sayaharu/bbs/log/log443.html

18 名前:外山恵子 (外山恒一の母親)  発信日:2002年 9月10日(火) 17時03分
 外山恵子(外山恒一の母親)の陳述書

 私は、昭和16年8月22日生まれ、現在、60歳で、被告・外山恒一の母親です。
 息子は、私から見ても非常識で、世間様に迷惑をかける言動を繰り返しているようですし、裁判官の方にも、心証を悪くするようなことをしているのではないかと心配ですが、その思想信条の是非はともかく、少なくとも息子は、決して嘘をつくような人間ではありません。
 息子の書いた答弁書や陳述書(乙第4号証)は、事実に基づいたものだと思います。
 30歳を過ぎてなお、頻繁に私たち両親にお小遣いをせびるなど、ふがいない、不肖の息子ではありますが、どうか、その裁判における態度はともかく、裁判において主張している内容自体は信用していただき、息子に対して、寛大な判決を出されることを心から望みます。

平成13年8月21日 外山恵子 印


19 名前:日高明子  発信日:2002年 10月19日(土) 19時23分
福岡県中央警察署での供述調書 1−a
 住所 福岡市東区……
 電話 092-……
 職業 無職
 氏名 日高明子
    昭和四七年一〇月二五日生(二七歳)

 右の者は、平成一二年三月二七日、福岡県中央警察署において、本職に対し、任意、次のとおり、供述した。

一.私は、只今、申し上げました住居地に恋人 船岡俊輔 昭和五一年一月一〇日生(二四歳)と同棲しております。

二.先日、(平成一二年三月十九日)に私が、元交際していた外山恒一 昭和四五年七月二六日生(二九歳)から、平成一一年三月八日午前六時前後ころに当時、私が住んでいた福岡市南区野間一丁目一九番五号リトルハイツ野間二〇二号室において、右耳、頭、背中、肩等を平手で殴られて、怪我をした事について、外山を罰して貰いたくて、届出た理由等を簡単に話していました。

 本日は、私が、外山から怪我をさせられた平成一一年三月八日の事について、詳しく話します。
 私が住んでいたリトルハイツ野間二〇二号室の部屋の状況を見取図を作成しましたので、これによって説明します。
 (この時、本職は、供述人が、作成した現場見取図 一葉を供述人が、説明後、本調書末尾に添付することとした)
 只今、私が書きました現場見取図が、私が住んでいた部屋で、先日、説明した様に出入口から六畳位の台所六畳位の和室の二間です。

三.前にも説明した様に外山は、平成一一年三月七日昼過ぎころ、私の部屋にやって来ました。
 私がセックスを拒否したので、六畳和室で、お互い、口もきかずにテレビを見たりしていました。
 そのうち、外山は六畳の間のホットカーペットの上で、午後一〇時過ぎころ、寝てしまいました。
 当時、外山は、私の部屋に来ては泊ったりしていましたが、私が帰ってくれと頼んでも、強行に泊って行くという状態でした。
 勿論、外山が怖くなって、帰ってくれとか別れ話は、とても切り出せない状況でした。
 それというのも彼から、平成一一年一月ころに原因は忘れましたが、些細なことから、口喧嘩になりました。
 その際、彼は、腹を立てて、いきなり私の頬を平手で殴りつけてきたのです。
 そのことがあり、彼が暴力的な性格で、しかも殴った後に殴った俺は、悪くない殴られた原因を作ったお前が悪い等と自分の過ちを認めようとせず、逆に正当化する様な面がありました。
 それで外山は、怖い男と思って、はっきりと相手に別れ話も切り出せなかったのです。
 私は、外山が寝たので、翌日三月八日 午前〇時ころに外山が寝ている横に川の字の状態で寝ました。
 その時の私の服装は、パジャマ上下で、下には半袖の下着、パンティを着ていました。
 外山の服装は、はっきりしませんが、Tシャツ、ジーンズ姿であったと思います。
 何となく、寝つくことが出来ずにカーペット上に上半身を起こして、何時だろうかと思って、ビデオデッキの時刻を見ると午前五時五〇分過ぎでした。
 私が起きたので、外山も上半身を起こしていました。
 お互い、無言のままで、私は起きるには、まだ早いと思って、仰向けの状態で横になりました。
 すると外山は、私の横にくると私に抱きついてパジャマを脱がそうとしました。
 私は、彼との関係を何とか切りたいという気持ちが強くて、とても彼とセックスをすることなど、全く考えていませんでしたので拒否をしましたが、外山には、全く私の気持ちは分かっておらず、無理矢理、私のパジャマ上下やパンティも脱がされて、全裸にされたのです。

20 名前:日高明子  発信日:2002年 11月11日(月) 20時33分
福岡県中央警察署での供述調書 1−b
 私は、外山に嫌いと言って、外山に背中を向けて、その場に座り込み、両腕で、自分の胸を抱く様な格好をしていた時でした。
 いきなり右耳付近をバシッと殴りつけられたのです。
 前に説明した時に力一杯、平手で殴りつけられたと話していましたが、外山が、私を殴った瞬間を見ていませんので、手のひらで殴ったものか、げんこつで殴ったものかは分かりません。
 しかし、私が殴られた感じが、バシッというので、平手で殴られたと思った訳です。
 私は、外山とは夫婦でもないのに、どうして殴られなければいけないのか、いやなのにどうしてセックスをしなくてはいけないのか、と思って外山の方へ振り返ると、外山は、私の方を向いていました。
 私は、こんなのは強姦だと強い口調で言ってやったのです。
 そうしたら、外山は、私に向かって、右手を振り上げて殴りかかってきましたので、直ぐに外山に背中を向けて前かがみになり、顔を殴られない様に両手で顔をカバーしていると頭 背中 肩 脇等を続けて、バシッ バシッと力一杯殴りつけたのです。
 殴られた時間は、一〜二分間と思いますが、二〇回〜三〇回位、殴られていると思います。
 私は、止めて 止めてと必死に叫んだのですが、殴るのをなかなか止めてくれずに、自分が殴るのに疲れて、ようやく止めた様で、その場に尻餅をついた格好で座り込むと、今度は声を出して泣き出したのです。
 外山は、私が、自分の思い通りにならないということで泣いたと思います。
 殴った後に私に謝罪の言葉などは、全くありません。
 外山は、私を殴った後、その場で寝てしまい、その日の午後九時ごろに黙って帰って行きました。
 私は、外山から殴られて、身体中が痛くて、病院にも行けない状態でした。
 どうにか三月九日になって起きることができましたが、殴られた右耳が、キーンという耳鳴りが続いている状態でしたので、近くの福岡市南区野間一丁目一〇番一号河野クリニックという耳鼻科に行き、診察を受けたところ、右外傷性鼓膜穿孔という耳の鼓膜に穴があいていることでしたので診断書を提出します。
 右耳の他にも殴られて、肩や脇などに黒いアザが出来ていましたが、病院で治療は受けていません。

 見取図に
  A 私が寝ていた場所
  1 外山が寝ていた場所
  B 私が殴られた場所
  2 外山が殴った位置
 を記載しましたが、一度殴られて、その後も殴られた位置は、あまり移動していなかったと思います。

四.次に当時、私が、外山から殴られて怪我をしたのに警察に届出をしなかったのは、まだ彼と完全に交際が切れていなかった状態でしたので、届出をしなかったのです。
 しかし、彼と別れても私に対する嫌がらせが続き、平成一一年八月一九日に中央警察署で、外山を呼び出して、厳しく警告をして貰ったのです。
 しかし、その三日後の平成一一年八月二二日に外山から日高明子様最後の手紙です――という手紙が転居先の福岡市中央区……に送られたことや平成一一年一〇月一八日ころに外山が、友人の六田俊一 三〇歳を通じて、月刊外山恒一 外山恒一メジャー宣言というミニ広告紙を渡されました。
 この中には、私の顔写真や私の名前が記載されており、中でも

注意
 当初、当事者2人だけの問題として解決しようと奮闘した外山の努力を踏みにじり、周囲の不特定多数を巻き込む大スキャンダルへと発展させ、外山を傷つけた日高の不誠実と無責任への報復の意味もこめ、今後、この問題に関しては、実名報道します


 等と文面がなっており、全く反省していない様です。
 それに加えて、私が、現在、同棲しています船岡俊輔 二四歳に対してまで、後をつけたり、インターネットのホームページで嫌がらせをする等、とても許すことができません。

 以上の様な理由から、外山恒一をこのままにしていたのでは、私達二人は、いつまでも嫌がらせを受けなければいけないので、何とか厳しく罰して貰いたいと思います。

 そういうことから、本日、外山恒一に対する告訴状を作成しましたので、よろしくお願いします。

日高明子(自筆署名および拇印)

(右のとおり、録取して読み聞かせたところ、誤りのないことを申し立て、署名指印した)


  前同日
          福岡県中央警察署
           司法警察員
           巡査部長大久保正明(印)

          右立会補助者
           右同署
           司法巡査 友田紀久子(印)

21 名前:日高明子  発信日:2002年 12月10日(火) 21時20分
福岡中央警察署での供述調書 2

 住所 ……
 電話 ……
 職業 無職
 氏名 日高明子
     昭和四七年一〇月二五日生(二七歳)

 右の者は、平成一二年六月一六日 福岡県中央警察署において、本職に対し、任意、次のとおり供述した。

 一 私は、去年三月八日、以前、交際していた外山恒一(二九歳)から鼓膜を破られるという被害にあった者です。
 この件については、被害後の去年、八月一九日に外山を呼び出してもらって警察の方で警告してもらっていました。
 しかし、この警告にもかかわらず、外山は、私との交際内容を記載したビラを作って私の友人に見せたり、その後、私と交際を始めた船岡俊輔君の自転車のカゴの中に入れたりして、嫌がらせを続け、全く反省の色がなかったのです。
 それで、私は、今年、三月二七日に正式に告訴状を提出して外山を傷害事件で訴えたのですが、被害を受けた時に警察が事件化すべきではなかったかと思っております。
 私は、告訴状を提出した時に、外山との関係などについても話していますが、一部説明していなかったことがありますので、このことについて話しておきます。

 二 それは、私は外山との関係で、妊娠してしまい、去年の一月一九日、福岡市中央区赤坂にある浜崎産婦人科で、中絶手術を受けているのです。
 私が妊娠したことを外山に告白したところ、外山は、俺には関係ないこと、興味もまったくないと言ったのです。
 この言葉で、私は、外山が、女性の人権を無視する自己中心的な性格であることが、はっきりと分ったので、これ以上、つき合っていける相手ではないと思ったのです。
 そして、私は、中絶費用の一〇万円を自分で、工面して中絶しました。
 この一件で、私は、外山との関係を解消したのですが、外山は、その後もしつこく私のアパートを尋ねてきては、関係を迫っていたのです。

 そして、去年三月八日、午前六時ごろ、私のアパートを尋ねてきた外山から関係を迫られ、これを断ったところ、外山から平手で、何回も全身を殴りつけられて、この時に鼓膜を破るという怪我をしました。
 私は、中絶後の体調がおもわしくなく、その時は、関係ができる状態ではなかったのです。
 もちろん、体調が良くても、その時、外山と関係する気は、全くありませんでした。
 私が中絶したことについては、女性の立場として、なかなか言えることではなく、警察にも今まで話してなかったのですが、事件の真相を知ってもらうためにも、勇気を出して話したのです。

 三 どうか、このような女性の人権を踏みにじるような男は、法律により、厳重な処罰をして下さい。
 外山から早く解放されて安心した生活を送りたいと思っていますので、どうか、よろしくお願いします。

日高明子 拇印  

  右のとおり、録取して、読み聞かせたところ誤りのないことを申し立て、署名指印した。
   福岡県中央警察署
   司法警察員
   警部補 田中勝良 (印)

22 名前:日高明子  発信日:2003年 1月 9日(木) 19時03分
福岡地方検察庁においての供述 1
 職業 無職
 氏名 日高明子
     昭和四七年一〇月二五日生(二七歳)

 右の者は、平成一二年一○月一八日、福岡地方検察庁において、本職に対し、任意、次のとおり供述した。

一 私が、平成二年三月八日午前六時ころ、当時の私の自宅であった福岡市南区野間一丁目一九番五号リトルハイツ野間二○二号室で、当時の私の交際相手であった外山恒一から、私の右耳付近、頭、背中、肩及ぴ脇付近を外山の両手で、連続的に、約二〇〜三〇回にわたって殴られ、加療約一ケ月間を要する右外傷性鼓膜穿孔などの怪我を負わされるといった被害を受けた状況についてお話しします。

 私が、このように外山から暴行を加えられ、怪我を負わされる被害を受けたことは間違いありません。
 そして、私は、この被害を受けた日の翌日に、コウノクリニックへ行き、この右外傷性鼓膜穿孔の診断を初めて受け、この初診の日が、平成二年三月九日だったことが確認されたと聞いて分かりました。
 ですから、私が、このような被害を受けた日が、その初診の前日に当たる平成一二年三月八日だったことに間違いありません。
 また、私は、この被害を受けた直前、当時の自宅の部屋に置かれていたビデオの時計で時間を確認し、その時間が午前六時ころでした。
 ですから、私が、このような被害を受けた時間が、午前六時ころだったことも間違いありません。
 そして、私が、この被害を受けた場所が、冒頭にお話しした福市南区野間にあったリトルハイツ野間二○二号室の当時の私の自宅だったことも間違いのないことです。

 それでは、これから私が、この被害を受けた状況についてお話します。
 そして、これから犯人の外山のことは、単に外山と呼んで、お話をしていきます。

 この時、本職は、平成一二年三月二七日付け、供述人の司法警察員らに対する供述調書添付の「現場の見取図」と題する図面を供述人に示し、その写しを本調書末尾に添付することとした。

 お示しの図面が、私が、警察で、この被害状況についてお話しをした際、この現場となった当時の自宅の部屋の様子を私が描き、この説明に用いたものであることに間違いありません。
 本日も、この図面を元に私が警察で、この被害状況についてお話しした際、この現場となった当時の自宅の様子を私が描き、この説明に用いたものであることに間違いありません。

 本日も、この図面を元に、私がこの被害を受けた状況についてお話しします。
 私は、この被害を受ける直前、この図面にAと書き込んだ位置に、頭を図面の「パイプハイベッド」の方に向けて、横たわっておりました。
 そして、この時、外山が、前日から、この私の部屋に泊まり込んでおり、外山は、この図面に書き込んだところに、やはり頭を先ほど言ったベッドの方に向け、私と横並びになる状態で横たわっておりました。
 そして、私は、このころ、眠りから目を覚まし、部屋にあったビデオデッキの時計を見て、その時間が午前五時五〇分過ぎころ、つまり午前六時ころだったことを確認しました。
 このように私が、目を覚ましたところ、外山も目を覚ました様子で、私の方に近付いてきました。
 そして、外山は、横になったまま、横になっていた私の背中側に寄り添うようにして来て、私に外山の体を密着させました。
 そして、この時、外山は、私が当時身に付けていたパジャマの上下を脱がし始めたのでした。
 私は、この時、外山が、このようにして私とセックスすることを求めて来たと思いました。
 しかし、私は、平成一一年の一月に外山の子供を中絶した経緯があり、その前後の外山の私に対する態度が冷たく、非人間的であったことから、外山に対する愛情が、すっかり失せておりました。
 このため、私は、このような外山と二度とセックスをする気持ちにはなれませんでした。
 そこで私は、外山がこのように求めて来たことに対し、拒んだのですが、外山は、それでも無理矢理、私のパジャマや下着を剥ぎ取り、私は、外山から全裸の状態にされました。

23 名前:日高明子  発信日:2003年 2月 3日(月) 04時24分
福岡地方検察庁においての供述 2
 しかし、私は、尚も外山のことを拒み続け、横たわったまま、外山に背中を向け、その場にうつぶせになりました。
 そして、私は、私の両腕で脇を固め、私の胸が外山から全く見えないような状態にし、身体を堅くしたのでした。
 すると外山は、このように私が、強硬に外山のことを拒んだことに腹を立てた様子で、いきなりうつぶせになっていた私の右耳の後ろ辺りの後頭部付近を、一回、バシッという感じで、力一杯、殴り付けて来たのでした。
 この時、私は、外山のどちらかの平手で、この付近を殴られたと感じました。
 そして、この時、外山のその手が、私のその後頭部付近に激しく当たり、この時、私は、耳がキーンという音を立て、耳鳴りがするのを感じると共に、その外山から殴られた付近に、強い衝撃と激しい痛みを覚えました。
 私は、この時、このように痛みなどを覚えると共にどうして外山から殴られなけれぱならないのか、嫌なのに、どうして外山とセックスしなければならないのかなどと思って、外山に対し、激しい債りを覚えました。
 そこで私は、うつぶせになったまま、外山の方に顔を向けた上で、外山の方に顔を向けた上で、外山のこのような行動に抗議するために、外山に対し、"こんなのは強姦だ"と強い口調で文句を言ってやったのでした。
 この時、外山は、私の方に身体を向け、膝を床に付けた上で、その膝を立てた状態でおりました。
 そして、外山は、私が、このように外山に対し、反抗的な態度をとり、外山の思い通りにならなかったことにますます腹を立てた様子で、私に向かって、外山の右手を振り上げ、私に対し、殴りかかるような姿勢を示して来ました。
 私は、この時、外山から更に殴られると恐怖を感じ、それを防ぐためにうつむいて、うつぶせになりながら、私の頭が、それまでのベッドの方向とは反対の方向に向くように身体を移動させ、逃げようとして行きました。
 しかし、外山は、そのように逃げようとしていた私に対し、容赦なく、頭を先ほどのベッドの方向とは反対の方向に向け、うつぶせの状態になって横たわっていた私の頭や背中、肩、そして、脇辺りを、連続的にその両手で、バシバシと力一杯ところ構わず、殴り付けて来たのでした。
 この時、私は、外山の暴力によって、外山の方に顔を向けることが出来なかったものの、そのように連続的に外山から殴られていた時の状況から、外山が、その両手の手のひらで連続的に私のその頭などを力一杯、殴っていると感じたのでした。
 そして、このような外山の手は、私のその頭などの身体にことごとく当たって、私のその都度、その殴られた身体の部分に激しい痛みを覚えました。
 私は、この時、そのような激しい痛みを感じながら、必死で外山に対し、止めて、止めてと叫ぴ、殴るのを止めてくれるように頼んだのでした。
 しかし、外山は、私が、このように許しをこうことも顧みず、時間的には一、二分間にわたって、回数的には二〇〜三〇回にわたって、私のその頭から背中にかけての全身を力一杯、殴り続けたのでした。
 そして、外山は、そのように私を殴った後、外山自身、殴り疲れた様子で、ようやく私を殴ることを止めたのでした。
 私は、その後、このように外山から全身を殴られたことで、全身に痛みを覚え続け、身動きがとれませんでした。
 ですから、私は、この三月八日は一日中、部屋で寝ており、一歩も自宅から外に出れませんでした。
 しかし、私は、翌三月九目になっても、右耳の耳鳴りが続いていることが気になり、その日に冒頭でお話ししたコクノクリニックという近所の耳鼻科に行き、診察を受けました。
 そして、この時、冒頭でお話しした診断を受けたのでした。
 この鼓膜の怪我は、私が、今日、お話ししたとおり、外山から殴られたことによるものであることに間違いありません。
 また、私は、このように外山から殴られたことで、肩や脇に黒いアザが出来たほか、全身に打ち身のような痛みを覚えておりました。
 このような痛みは、二週間くらい続きました。
 このような痛みを感じさせていた打僕傷も、今日、お話しした外山の暴力によるものであることに間違いありません。
 このように私に暴力を振るった外山のことは許せませんので、厳しく処罰して下さい。
 そして、この事件の前後の状況については、また後日、詳しくお話ししますので、よろしくお願いします。

日高明子 拇印

右のとおり、録取して読み聞かせたところ、誤りのないことを申し立て、署名指印した。

   同前日
    福岡地方検察庁
    検察官   検事 橋本晋  (印)
    検察事務官    石川辰則 (印)

24 名前:だめ連福岡管理人 矢野通彦  発信日:2003年 2月 5日(水) 06時30分
だめ連福岡管理人 矢野通彦 (29才 1973年10月29日 富山県富山市生まれ。1996年3月、徳山大学経済学部卒業)
 2002年5月14日、外山恒一が、ネット上で弁護士女性への名誉棄損容疑で福岡中央署に逮捕された。
 そして、2ヶ月あまりがたった。

 2002年7月23日、福岡地方裁判所で、その初公判である。
 彼の現在の寝泊りは福岡拘置所であり、在宅起訴だった「傷害容疑裁判」の時みたいに自由の身ではない。早良区百道にある拘置所から護送車に乗り、裁判所に移送されるのだ。
 そして、私たち傍聴人は、法廷に入って、久しぶりに彼の姿を確認できるのだ。
 初公判まで拘置所では、一般の者と接見禁止なのである。
 
 私が、福岡地裁についたのは、15時開廷の約15分前。
 エレベーターに乗り、3階の第305号法廷へと向かう。
 法廷前の廊下には、10数人もの人たちが取り巻いていた。
 警備担当らしき裁判所職員が数人、傍聴人入口前には黒衣の女性職員(事務官か速記官)、そして、向かい側の法廷前の長椅子には、明らかにメディア関係とわかる4人の記者が並んで座っていた。
 昨年2月からの外山恒一の公判の中で、明らかに一番ものものしい雰囲気である。
 
 第305号法廷前の長椅子には、外山恒一の知人である熊本のAさんと連れの女の子が座っていたので、Aさんに挨拶をする。Aさんは外山恒一への書籍差し入れ資金として、先日、福岡の私のもとへ3万円もの大金を送金してくださった方だ。
 傍聴人入口ドアには、張り紙がしてあり、「傍聴券がないと傍聴できません。一般傍聴券は、19枚です」とのことである。
 外山恒一の公判傍聴が、抽選予定の対象となったのは、昨年、8月27日の「傷害容疑裁判」第一審判決以来のことである。前回は傍聴希望者が、定員分に満たなかったため、全員傍聴できたのだが、今回はひょっとすると定員を超えるかも知れない。もし抽選となった場合、外れたら、せっかく来たのに傍聴できないのかも、と不安になった。何はともあれ、前回の「傷害容疑裁判」の時よりも大変な注目度であるのは、逮捕が、新聞等で報道されたことや4人の記者がいることからも明らかである。
 
 開廷10分前になり、赤色の傍聴整理券が係員から希望者に配布される。
 熊本のAさんと連れの女の子に続いて、傍聴整理券3番を受け取る。
 整理券が定員分の19枚を超えてしまうと、19枚の傍聴整理券記載の当選番号が、小型パソコンで自動抽選されるのだ。ちらほらと、希望者が、やってきては傍聴整理券を受け取っていく。
 知人のMさんが14番の傍聴整理券を受け取った時、配布が終了の14時55分となり、希望者は全員、傍聴できることとなった。
 「ほっ」としたのも、つかの間、係員が「傍聴の方は、どうぞ、お入りください」と呼んだ。
 「外山さんは、どういう感じで廷内にいるんだろう」と緊張感が高まった。

 少し緊張しながら、第305号法廷へと入っていく。
 中を見渡すと、すでに証言台の前に被告の外山恒一が立っている。
 私たち傍聴人が、続々と入廷するのを横目で見ながら、満足げにうなずいている。
 壇上には、すでに3人の裁判官が着席しており、検事や弁護人もスタンバイOKといった感じである。
 検事は、40歳くらいにみれる、ごくまじめな公務員風の女性である。
 弁護人は、国選弁護人で、まじめな感じでもあり人柄もよさそう。

 私は2列目中央の席に着いた。ななめ後ろの最後列3列目の席に、今回、名誉を棄損されたとして告発した弁護士女性と、前回の「傷害容疑裁判」の原告代理人の弁護士女性の2人がやって来た。
 共に同じ法律事務所勤務で、そこは女性に関する問題をメインに運営されている。
 外山恒一は、彼女らを「僕と政治的に対立するエセフェミニスト連中」だと主張している。
 また警備の裁判所職員の他に、前回の「傷害容疑裁判」担当だった裁判所書記官の青年も傍聴席にいる。最前列の席右隅(一般通路側)には、外山さんの母とおぼしき方が心配した面持ちで座っている。
 傍聴席は、いろいろなメンツが集い、ざっと20人はいる感じで大盛況である。
 まったく人騒がせな外山恒一である。
 かく云う自分も掲示板で公判の案内なんかをしており、まぁ云々いえる分際でもないか…。

 15時、いよいよ裁判が始まる。
 15時、開廷。外山恒一への人定質問がはじまる。
 裁判長が、外山恒一に氏名・生年月日・本籍地を尋ね、彼が、淡々と答えていく。
 続いて、職業を尋ねたところ、意外にも「答えられません」という彼の返答。
 どういうことだろう。過去の公判で、外山恒一は、職業を「革命家です」又は「職業的アイデンティティーとしては革命家です」などと「革命家」にこだわって自信ありげに答えてきた。
 一体、今回、なにゆえ「答えられません」のか。彼らしくない。何か深い意味でもあるのであろうか。
 
 続いて、検察官が、起訴状を早口で朗読する。
「………平成13年8月○日○時ごろ、……岡山県○○市、株式会社エヌディエスのサーバー……
息子にテレクラをやらせてクライアントを……などと『外山恒一のホームページ』に自宅パソコンから発信し、………」
 細かくて意外に長く、もういちいち思い出せないけど、要するに外山恒一がネット上に弁護士女性の「名誉を棄損する記事」を発信したという、既に報道された件の内容だ。
 
 続いて、裁判長から外山恒一に「被告は、終始、黙秘してもよい、発言は証拠として採用されることもある」旨の黙秘権の告知をした後、「被告の方からは、何か?」と尋ねた。
 ここから、外山恒一特有の、単調でくどくどした言い回しが始まる。
「罪状認否ですか? 実は事情がありまして……昨日、他件での刑事裁判上告棄却で懲役10ヶ月の『執行指揮書』が届きました。当初、この『執行指揮書』が、もっと先の時期に届くと思っていました。仮にその場合、今回、全面的に争うと私の刑期が長引く恐れがあります。しかし、意外にも、昨日『執行指揮書』が届きましたので、当初の私の方針を再考する必要があります。罪状を認めるか認めないかは、弁護士の先生とも相談して態度を明らかにしたく思いますので、しばらく時間をいただきたいのですが……。(要旨)」
「今からですか?」と裁判長。
 公判は、さっき始まったばかり、まだ時間は充分ある。
「私の態度は次の公判で明らかにしたいと思います。」
 やれやれ……、これではこの日の裁判は続けられない。
 せっかく大勢の傍聴人や記者、そして告発した弁護士女性まで来ていたのに、まるで肩透かしを食わされた様な感じである。

 裁判長が、次回公判期日の提案をする。次回公判が、8月22日(木)11時からに決まり、「名誉棄損」初回公判は、開廷から10分もたたずに終わった。
 外山恒一の発言に出た『執行指揮書』を聞いたとき、これが、何を意味するのか、私には、サッパリわからなかった。
 『(刑の)執行(を)指揮(する)書(面)』と察するまで、少し時間がかかった。
 外山恒一の懲役10ヶ月の刑執行にGOサインが出たわけだ。詳しいことはよくわからないが、彼にとって、この名目的「刑期内」の方が「名誉棄損裁判」を争うには利得なのであろう。 

 私が法廷から出るとき、ドア付近で廷内を振り返ると、外山恒一が、刑務官に手錠と腰縄をつけられていた。
 うーん、この日の外山恒一、予想に反して周囲へのアピールらしき発言がなかったし、何とも不気味でもあった。
 私がそう感じるのは、彼の従来のエンタティメント路線に影響されていただけの話だろうが……。

25 名前:だめ連福岡管理人 矢野通彦  発信日:2003年 3月 4日(火) 09時20分
だめ連福岡管理人 矢野通彦 (29才 1973年10月29日 富山県富山市生まれ。1996年3月、徳山大学経済学部卒業)

 2002年8月22日(木)
 今日は、外山恒一の名誉棄損容疑第2回の公判日である。
裁判所に行くと、前回同様、張り紙がしてあった。
 「傍聴についてのお知らせ」と題し、「(外山さんの裁判の)傍聴には傍聴券が必要です」旨である。
 一般傍聴券は、前回よりも3枚多く、22枚とのことである。
 前回、メディア記者枠の分が、一般に回ったのだろう。

 今回、傍聴抽選券を受け取ったのは私、熊本のTさんと連れの女の子の3人だけ。
 今回も無抽選となったが、前回の14人からは激減である。
 告発した弁護士女性の姿が、目につく以外、通路は警備の職員ばかりが目立つ。
 前回、4人確認できた記者らしき人の姿もまだない。
 11時開廷のちょっと前、係の案内で第305号法廷へと入る。

 法廷内には、担当弁護士、検事2人、書記官と速記官、司法修習生3人が、既にいる。
 前回は、既にいた裁判官や被告の外山さんの姿はまだない。
 検事2人だが、前回からの女性検事の横に、もうひとり男性の検事がいる。

 やがて、裁判官3人が壇上に入廷、私も皆と起立して一礼、着席する。
 しばしの沈黙の後、刑務官2人に連れられて、外山さんが入廷してきた。
 彼の姿だが、前回から一変して上下とも灰色の受刑服で、頭髪は丸刈りである。
 それで眼鏡をかけてる彼は、何か「極東国際軍事裁判」での東条英機みたいだ。
 もう彼は服役中なのである。ただ顔色といい、血色といい、元気そうなので、何よりである。

 私、熊本のTさん、連れの女の子は被告席最寄りの最前列中央部に陣取っていた。
 そして、席に着く外山さんと一瞬であるが、対面したのである。
 その彼の顔に笑みがこもっていたのが、印象的であった。
 刑務官の厳しい指導で、たぶん傍聴席に向かって語ることを禁じられているのであろう。

 今回の公判の要旨は以下の通り。
● 検察側の主張 
 平成13年8月19日、被告・外山恒一は「T弁護士が息子にテレクラをやらせてクライアントを獲得している」等の中傷記事を、自宅パソコンから自身のネットサイト「外山恒一のホームページ」に発信・掲載した。 
 当時、被告は元交際相手の女性への傷害の件で、刑事・民事裁判が進行中で、極めて苦しい立場にあったと考えられる。
 今回告発したT弁護士は、その民事裁判で原告代理人を担当したH弁護士と、同じJ法律事務所の所属の同僚である。 
 被告は、自身の傷害容疑に関わる裁判の件で、J法律事務所に敵意を抱き、T弁護士の社会的信用を落とす目的で、復讐心からネット上に中傷記事を掲載したと考えるのが妥当である。
 よって本件は、名誉棄損罪として成立する。

● 被告・弁護側の主張
 「T弁護士が息子にテレクラをやらせてクライアントを獲得している」等の記事を発信・掲載した事実には同意する。これを検察側は中傷記事だとしているが、「正当な言論活動の一環」として掲載したもので、T弁護士の社会的信用を落とす目的で行ったものではない。 
 そもそも記事を掲載したサイトが「外山恒一のホームページ」とは別箇の「”フェミニスト”をやっつけろ!」という傷害容疑裁判に関する独立したサイトと位置付けてある。
 当初は自費で私選弁護人を雇えなかった被告が、読者の裁判への支援要請等を目的に開設したものである。
 このサイトの主旨は、裁判の経過報告や、被告と元交際女性とに関わる複雑な事件の背景を、読者に正しく理解してもらおうということであり、検察側が中傷とみなす記事は、傷害容疑裁判に関わる「正当な言論活動の一環」として掲載したものである。

 ちなみに公判開始直後に、H弁護士が傍聴席に入り、その後、記者の人も2人ぐらい傍聴席に入ったみたいであった。外山さん、またメディアが来てよかったねぇ。

 次回公判期日等は以下の通り。いよいよこの裁判も大詰めを迎えます。なお、たぶん結審です。

■2002年9月17日(火)10時から 福岡地方裁判所第305号法廷
 ●被告人質問
 ●論告・弁論
 ●検察官の反論
 ●被告人最終陳述

26 名前:福岡地方裁判所  発信日:2003年 3月13日(木) 10時05分
■外山被告に実刑判決
■名誉棄損として、懲役1年


「息子にテレクラをさせてクライアント(顧客)を獲得している」などと、インターネット上での弁護士女性に対する名誉棄損容疑で逮捕、起訴された外山恒一被告(32)(傷害で服役中)の判決公判が、12日、福岡地方裁判所で行われた。

 陶山博生裁判官は「被告は、弁護士女性の被害、誹謗、中傷を主な目的とし、インターネット上に中傷記事を掲載したと認められる。何より名誉と信用を重んじる弁護士女性への社会的評価の低下を意図した被告の強固な犯意によるものであり、伝搬性の高いインターネット上に女性の実名を掲載するなど判状は悪質。被告は、これを正当な言論活動などと主張しているが、真摯な事実調査をしておらず、弁護士女性の息子ら家族も多大な精神的苦痛を受けている。犯行は、被告独自の論理に基づく、独りよがり、独善的かつ自己中心的なものであり、酌量の余地はない」と指摘。
 名誉棄損として、懲役1年(求刑懲役1年)を外山被告に言い渡した。

27 名前:だめ連福岡管理人 矢野通彦  発信日:2003年 3月19日(水) 11時34分
だめ連福岡管理人 矢野通彦 (29才 1973年10月29日 富山県富山市生まれ。1996年3月、徳山大学経済学部卒業)

2003年3月6日(木)福岡高等裁判所にて、控訴審公判予定

■被告 外山恒一
■事件名 弁護士女性への名誉棄損容疑(第一審で懲役1年の判決)
■公判日時 2003年3月6日(木)13時30分から
■場所 福岡高等裁判所第501号法廷(福岡地方裁判所と同じ建物です。)
 福岡市中央区城内1番1号
■問合せ先 092-781-3141(福岡高等裁判所第一刑事部)

※公判日時、法廷は変更される場合もありますので、ご注意ください。

■なお、第一審判決の判決文が福岡地方・家庭裁判所ホームページの「主要判決情報」にて紹介されています。
H14.11.12 福岡地方裁判所 平成14年(わ)第651号 名誉毀損被告事件
http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/c1eea0afce437e4949256b510052d736/b1ca2afd871acbf449256ca800291d11?OpenDocument

2002年10月10日
外山恒一の女性弁護士への名誉毀損裁判、第一審結審。検察側の求刑、懲役1年。
2002年11月12日
外山恒一の名誉毀損裁判の第一審判決、下る。有罪判決。名誉棄損として懲役1年。
2003年03月06日
外山恒一の女性弁護士への名誉毀損裁判、第二審結審。
2003年03月27日
外山恒一の名誉毀損裁判の第二審判決、下る。有罪判決。懲役8ヶ月。執行猶予無し。


28 名前:外山恵子 (外山恒一の母 62才)  発信日:2003年 3月20日(木) 07時23分
外山恒一の母――外山恵子でございます。
この度は、またしても、うちの息子が、このような暴力沙汰を起こしてしまい、皆様には、大変、ご迷惑をおかけしております。
不快な思いをさせてしまった事を深くお詫び申し上げます。
息子は、幼い頃に父親を亡くし、そのショックでか、内気で、陰気な子供になってしまいました。
そのせいか、中学・高校では、いじめにあっていたようです。
この年になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようで、話す相手といえばカブトムシだけ。
まだ童貞のようです。
不憫に思い、オナニーの仕方だけは教えてあげたのですが、猿のように毎日毎日、行為にふけるありさまです。

将来を大変、心配しておりましたが、この「だめ連福岡」というサイトを知って以来、息子も少し明るくなったようです。
夕食の時には「今日、掲示板でね、矢野通彦がさあ………ぴーまんが、ふるしょおが、さおさおが、古館真が、熊本の知人Tが……」などと、とても楽しそうに話してくれるのです。
少しは、人間らしさを取り戻したかなと思っていたのですが……確かに息子は、クズでございます。
いくつになっても分別をわきまえず、すべてが幼稚です。
生きていても世の中の役に立つ事がない事も十分、承知しております。
でも、決して悪い子じゃないんです。

どうぞ、皆様、息子を暖かく見守ってやってくださいまし。
本当は、小心な良い子なんです。
どうか温かい目、長い目で見てやってくださいまし。
よろしく、お願い申し上げます。

29 名前:外山恒一の悪魔払いをしたエクソシスト  発信日:2003年 4月 7日(月) 06時05分
今回、外山恒一が、このような犯罪を起こしてしまい、大変、ご迷惑をおかけいたしました。

外山恒一は、普段は、虫一匹殺せないような優しい性格の持ち主でした。
そんな外山でしたが、ある日、好奇心からこっくりさんをして遊んでいました。
彼にとっては、ほんの遊びだったのかもしれませんが、その好奇心が、彼の運命を変えてしまいました。
なんと彼は、悪魔に取り憑かれてしまったのです。

その後、彼は、変わってしまいました。
奇声をあげながら、大小便を垂れ流し、突如、自分の体を傷つけ始めたりしました。
それが終わると憑かれたようにギターを取り、貧乏臭いストリート・ミュージシャンにいそしむ毎日でした。
それを見かねた両親が、私のところに悪魔払いを依頼してきたというわけであります。

私が、彼のもとに駆けつけたとき、彼は見るも無残な状況でした。
全身は傷だらけで、悪臭がただよい、小声で「革命ごっこ、マンセー。 革命ごっこ、マンセー」とつぶやいていました。
それを見て私は、早速、悪魔払いの呪文を唱えながら、聖水を彼に振り掛けました。
普通の悪魔なら、この時点で退散するのですが、この悪魔はしぶとく、最後は呪文を唱えるというよりも怒鳴りつけるといったような感じでした。苦労の末、ついに悪魔は、彼の体から消え去ったのです。

その後、彼の家庭には、今まで通りの平和な生活が戻りました。
もう、奇行に及ぶことも、今回のような犯罪を起こすことも無いはずです。
老婆心ながら、この文章を読んだ方は、決してこっくりさんの類に手を出すことのないよう忠告いたします。

30 名前:外山恒一のチンポに被っている包皮  発信日:2003年 4月 9日(水) 23時31分
外山恒一のチンポに被っている包皮でございます。

このたびは、主人が、このような犯罪を起こしてしまい、皆様には、大変 ご迷惑をおかけしました。
この場を借りて、深くお詫び申し上げます。

外山恒一は、常日頃、私の存在を疎ましく思っているらしく、自分がモテないのは、お前のせいだといつも私を罵倒しておりました。
しかも、真剣な眼差しで「高須クリニック」の広告を眺めていたりして、私は、戦々恐々としておりました。

いくら包皮といえども、外山恒一のこのような悪態にはウンザリし、最悪、自殺も考えておりましたところ、
「売れない地方の無名劇団の巡業をめぐって、無名の貧乏役者との雑談」というくだらない交流方法を知って以来、外山も少し明るくなったようです。
「今日、劇団○○○○でね、あの女の子がさあ…」 と、 オナニーの時などにとても楽しそうに包皮である私に話しかけてくれるのです。

おかげさまで、外山恒一の精神状態は、改善に向かいつつあります。
風呂も定期的にはいるようになり、私も以前のようなチンカスまみれになることも減りました。
今度、バイトの面接に行ってみるとさえ言っております。
どうぞ、皆様、外山恒一を暖かく迎えてやってくださいまし。よろしくお願い申し上げます。

31 名前:外山恒一の主治医  発信日:2003年 4月29日(火) 20時06分
外山恒一の主治医です。
この度、このような犯罪を起こすに至った事は、主治医として、大変、残念な事であり、また治療の効果が、まだまだ表れていないことを証明しているため、そろそろ最終的な決断を下す必要があるようです。

みなさん、お聞きになったことがあるかもしれませんが、必ずしも心の病は、特殊な病気ではなく、誰もがそうなる可能性があります。しかし、だからといって、これ以上、外山恒一を放置することは、例えば何の関係もない人を傷つけたり、逆に外山自身の将来にとり、必ずしも良いことではありません。
そこで、私は、外山恒一の両親、臨床心理士などとも相談して、外山恒一をしばらくの間、「素人の革命ごっこ」の出来る環境から離して、濃密な人間関係の中で治療をすることにしました。
外山恒一にとっては、納得がいかないことかもしれませんが、私も医師免許をかけて、外山恒一を徹底して直すことに致しました。
どうか、みなさん! 外山恒一が戻ってきましたら、このような人を悲しませる犯罪ではなく、みんなに感動を届ける以上の人間になっていると思いますので、暖かく見守ってやってください 。

32 名前:外山恒一の家臣  発信日:2003年 5月 2日(月) 17時23分
外山恒一の家臣でござる。
この度は、殿が、かように愚かしき犯罪を起こしてしまい、家臣一同、お詫びの言葉もござりませぬ。
殿は、先の戦さでの大敗以来、すっかり、お心を病んでしまい、昼は村娘をかどわかして、妊娠させ、夜ごと酒を召しては家臣に斬りかかる毎日でござる。
奥方様は病で倒れ、折からの飢饉で、民は、飢え苦しみ、近隣諸国の大名は、これ幸いとばかりにわが国との国境を侵し始めている次第にござりまする。
家臣の中にも殿に翻意をいだく者が多く、このままではお家存亡の一大事になりかねませぬ。
しかし、ご安心下され。間もなく殿には、出家していただく手はずにござる。
殿が、寺に向かう途中に手練れの者をひそませ、殿のお命を頂戴する算段が、整っておりまする。
その後は、殿と対立関係にある左翼団体の山の手緑、矢部史郎、花房俊雄様を殿として迎え、我ら家臣一同、忠勤を尽くす心づもりでござる。
皆様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今、しばらくの辛抱でござる。
なにとぞ、なにとぞ、殿の此度の所業をお許し下さいませ。

33 名前:外山恒一のクラス担任  発信日:2003年 5月 8日(木) 15時09分
はじめまして、外山恒一のクラス担任をさせていただいております。
この度は、私どもの生徒が、このような箸にも棒にもかからない下らない犯罪を起こしてしまったことを、本人に代わり、深くお詫び申し上げます。
学校では目立つ子ではなく、どちらかと言えば、内気で大人しく、友達も居ないようで、放課後、独り、教室に残り、妄想にふけっているような、少し何を考えているのか解らないといった、感じのする子でした。

先日、こんな事件がありました。
外山恒一は、体育の時間、腹痛を訴え、見学することになりました。
腹痛がひどいのか、保健室に行きたいとのことで、私に許可を求めてきました。
私は、なんら疑うことをせず、外山恒一が、保健室に行くことを許可しました。
その後です、教室に忘れ物をした私が、教室に戻ると、彼は、なんと女子生徒の席に座り、その女生徒の所持品を自分の陰茎にこすりつけ、自慰行為にふけっていたのです。
私と目が合いましたが、彼の右手は止まりませんでした。
「うううっ――!」と小さな嗚咽をあげると、外山恒一の未熟な陰茎から精液が、したたり落ちました。
彼は悲しい目をしたまま、私から目をそらしました。
恍惚から現実に戻された彼は、私に他言無用と懇願しました。
今日、この日まで、世間に公表したことはございません。
しかし、外山恒一の犯した犯罪は、いくら担任の私でも、許せない行為でした。

本日、外山恒一の母親と会い、このスレッドのことと、教室での自慰行為について報告しました。
彼の母親は、一言、「産まなきゃよかった・・・・・」
少し可哀想なことをしたかな、と思いますが、子供のうちにしつけておかないと、後で大変なことになると外山の母親には申し伝えましたので、今後、外山が、このような犯罪を起こすことは無いとおもいます。
一応、今度、このようなことをしたら、教室での出来事をPTAに報告すると警告してあります。
皆様も、もし、外山恒一が、再び、このような事件を起こしたときには、私までご一報下さい。
学校として対処させていただきます。

34 名前:私と上司  発信日:2003年 5月13日(火) 14時03分
我々は、外山恒一が、何故、このような犯罪を起こしたのかという疑問を解決するため、外山恒一の故郷である鹿児島県姶良郡 隼人町 住吉96番地の2に向かった。
「まだ、日本にこんなところがあったのか…」
思わず、口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして、彼らは、余所者で、身なりのいい我々を監視するように見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は、改めて、農村の現状を噛み締めていた。ボロ屑のような家に居たのは、老いた母親一人。
我々を見るなり、全てを悟ったのか、涙ながらに「うちの息子が、申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。我々は、この時、初めて外山恒一を許そうと思った。
誰が悪いわけでもない、農村の貧しさが、すべて悪かったのだ。
我々は、外山恒一の母親からもらった干し柿を手に打ちひしがれながら、東京へと帰路についた。

35 名前:外山恒一の弟だよーん  発信日:2003年 5月21日(水) 15時01分
やっほーい! 外山恒一の弟だよーん。
何かさあ、兄貴のパソコン適当にいじってたらここに着いちゃったんだけど、一体何なのここ?
まあいいや。どうせ兄貴がいちゃもん付けてもまた殴ってやればいいだけだし。
だってさ〜、ウチの兄貴ってメチャクチャ弱いんだぜ?
この前もオレの分のおやつを間違って食っちゃったもんだからオレがボコしばきにしてやったら、涙目で何度も何度もごめんなさいを繰り返しやがるんだ。
それ見てまたムカっと来たから兄貴の持ってるいやらしい本やHな格好した人形を片っ端からベランダから投げ捨ててやったら、これがまたビックリ。兄貴のヤツ、頭に血が昇ったのか何かしんないけど、泣き叫びながらそれを拾いに行くんだよ。
ったく、近所の人間も見てるってのにいい恥さらしだよ。何であんなのがオレの兄貴なのかな〜。
もし、同級生にあんなのがいたら殺してるねマジで。いや、それか恐喝した方がいいかな?
一億円くらい。オレも最近金欠だしな〜。

まっ、兄貴のヤツ、刑務所から前科者になって、帰って来たら、今度はカナディアンバックブリーカーの練習台になってもらおーと。この前、首の骨折りかけたけど、まあ大丈夫だよね? 親も楽しげに笑ってたし。
とりあえず、そーいう事で。んじゃ!

36 名前:外山恒一の部隊の政治委員  発信日:2003年 6月 9日(月) 22時40分
外山恒一の部隊の政治委員です。
このたびは、外山恒一が、これほどまでの愚かな犯罪を起こしてしまいまして、まことに申し訳ございません。
外山恒一は、同志スターリンの命に従い、大祖国戦争に自ら赴くどころか、コルホーズの豚小屋の中で、豚になりすましておりました。
兵糧を集めているときにかろうじて人間と見分けられたのですが、 体どころか、脳みそも豚並でした。
こんな外山恒一ですが、偉大なる祖国と人民のための弾除けくらいにはなりそうですので、ただいまから突撃させます。
ほら、外山恒一、この機関銃は、常にお前の背中を狙っているぞ。

37 名前:外山恒一についてのマスコミ取材を何度も断った近所の住民  発信日:2003年 6月18日(水) 21時09分
外山恒一についてのマスコミ取材を何度も断った近所の住民です。

また、あなたがたですか? 本当にしつこいですね。外山恒一についての取材は受けられないと何度も言っているじゃないですか。
…はあ、わかりましたよ。今回だけ取材に応じましょう。 その代わり、一度だけですよ。
外山恒一のことですか?近所でしたからね。昔から、子供の頃から知ってます。どんな子供だったか?
そうですね、ひとことで言えば、ちょっと変な子でしたよ。
一応みんなと遊びはするんですが、遊んでる間ぶつぶつ何か一人でしゃべっているし、ただ付いて回ってるだけでね。
それから、すぐ怒って手が着けられなくなるんですよ。今風に言うと「キレる」っていうんですか?
あんな感じです。どんなふうに? そうですね、低学年の子を本気で殴ったりとか、近所の他のグループの子供にも手を出してみたり。
外山恒一がいると、遊びにならないというか、あまり誘ったりすることはなかったですね。
あまり誘わないといえば、外山恒一の家には、よくない噂があったみたいで、子供でしたんであまりわからなかったんですが、なんだか曰く付きだったみたいです。みんな避けてましたよ。
その話は微妙なんで、勘弁して下さい。ええ、おそらく、みなさん方、ご想像の通りです。
中学の頃からは、外山恒一はあまり学校に来なくなりましたし、よくわかりません。
高校にも行かなかったと思います。そういえば夜中にナイフを持って同級生の家に押し掛けたりしたこともありました。
え? 相手は女の子です。そりゃ大騒ぎですよ。とにかく外山恒一は危ない奴だっていうのは、もうみんな知ってましたね。
ちょっと、その子の名前までは……覚えてませんし、覚えてても話せませんよ。ええ、ごめんなさい。
こんな事件を起こすなんてねぇ。当時のことを言ってもしょうがないんですけど、誰かが外山恒一を治してやることができていれば、こんな悲惨なことにはならなかったかとは思いますね。
ええ、そうですよ。私も人の親ですからね。外山恒一に対しては、どうしようもないくらい怒りを覚えます。
とんでもない人間ですよ、外山恒一は。
そろそろいいですか? 家内や子供が怯えてますので。もう取材は受けませんからね。
ここにも張ってあるでしょう? 取材のために周辺を徘徊するのはやめてほしいと。
もう静かに暮らしたいんです。外山恒一が、どうこうより、とにかく平穏でいたい。それだけです。
ええ。おやすみなさい。

38 名前:外山恒一の脳に金属片を埋め込んだ宇宙人  発信日:2003年 6月19日(木) 20時15分
外山恒一の脳に金属片を埋め込んだ宇宙人です。

つい、先日、地球を訪れた際に地球人のサンプルとして外山恒一をさらって、体に細工をしました。
地球人のデータを取るためです。でも、駄目でした。
外山恒一は、地球人としては規格外の異常人格者。ついでに無職。
おまけに交友関係もなく、金も無いくせに一日中、安酒を飲んで、遊んでばかり・・・
もう、いやです。おかげで僕は、母星の上司から「もっと実験体を選べよ、てめぇ」と怒鳴られてしまいました。
地球観測隊員に選ばれてから、初めてのペナルティです。ヒューマン・ミューティレーションも楽じゃありません。
来年からは、キャトルミューティレーション担当に格下げです。これから僕は、エリア51に出張します。
外山恒一の処遇に関しては、皆さんに一任しますので、どうぞ、煮るなり焼くなり好きにしちゃってください。

39 名前:外山恒一の背後霊  発信日:2003年 6月29日(日) 09時43分
外山恒一の背後霊でござる。

このたびは拙者が、背後霊として取り付いておる外山恒一が、このような犯罪を起こしてしまったことを心の底から詫びたいと思う。
拙者は、生存のころ、平家の落ち武者をしており、その怨念から背後霊となってしまい、今は外山恒一に取り付いておる次第でござる。
外山恒一は、幼少のころより、人見知りが激しく、家に閉じこもりがちになり、一人でテレビをみては、勝手にテレビの登場人物になりきる夢想をするようになっていったのでござる。
つきましては、拙者が懲らしめのため、これから一週間ほどは、毎晩、外山恒一が、床についたら金縛りの刑に処するつもりなので、なにとぞ、今回はお許しくださいますよう、みなさまにお願いいたします。

40 名前:外山恒一の姉  発信日:2003年 7月 5日(土) 17時04分
外山恒一の姉です。

ごめんなさい、弟を責めないでやってください。
弟が男性名のような女性にこだわるのには、訳があるのです。ついこの間、弟はようやく童貞を捨てました。
ところが、相手が性同一性障害の方で……。その、一言で表すと、童貞を失った相手が元男性だったんです。
でも、決してオカマさんというわけじゃないんです。相手の方はわたしから見ても綺麗で、女性にしか見えません。
わたしなんかは性格が大雑把なもので、今が女性ならいいんじゃない、と考えるのですが、弟は「童貞を捨てた相手が女性じゃなかった」ということを根に持ち続けています。
先日お会いしたときも、相手の方はとても悲しんでいました。
騙されたわけじゃないのに。愛してくれた上に、あまり人には言いたくない、重要なことまで打ち明けてくれたのに。
まったく、なんて陰湿な弟なのかしら。 その上、有罪判決まで受けて……もう、いい加減書いてて腹が立ってきました。
よし、これからちょっと弟をシメてきますね。それじゃ、また。

41 名前:外山恒一の隣に住むOL  発信日:2003年 8月10日(日) 14時45分
外山恒一の隣に住むOLです。
私は外山恒一を変人と勘違いしておりました。見かけるだけで吐き気がするほどでした。
ですが実際外山恒一と話しをしてみると私の勝手な妄想である事がわかりました。
とても気さくな人柄でとても引きこもりには見えませんでした。思いきって外山恒一にこう言ってみました。
「一度外にでてみない?」と。
外山恒一は少し戸惑いの表情見せましたが、私にこう言ったのです。
「君と一緒ならどこへでも行けそうだよ。」
私はドキッとしました。
今まで吐き気がするほど嫌いだった外山恒一が私に告白ともとれる言葉を言ったのです。
でも私はわかっていました。外山恒一と話をしているうちに私の気持ちがどんどん変わっている事を。
いつのまにか私の気持ちは、、、、殺意にかわっていました。
とっさにいつも持ち歩いているスタンガンを外山恒一の顔面にくらわると人とは思えない奇声をはっしながら家に帰っていきました。
それから私は外山恒一を見たことがありません。 ただ隣から聞こえてくる外山恒一の両親が外山恒一の暴力に耐える叫び声は前にも増して大きくなりました。
私はそれを聞きながら眠り、すがすがしい朝を迎え会社へ出かけるのです。
「いってきまーす」

42 名前:外山恒一の妹  発信日:2003年 8月17日(日) 16時16分
外山恒一の妹です。
今、兄さんの部屋で、勝手に兄さんのパソコンを使ってるんですけど…… あの……やっぱり、このスレッドって兄さんが立てたんですよね……。
まだ、ちょっと信じられません。 だって、兄さんは確かに顔も悪いし、 性格は悪いし、高校中退だし、ロリコンだし、その事で前科もあるからハッキリ言って嫌われ者ですけど……。
でも……でも!
だからって、こんな犯罪を起こすなんて……!! 兄さん、もう堕ちるところまで堕ちちゃったんですね……。
昔、公園で、一人で遊んでた6歳くらいの女の子を兄さんが無理矢理、襲っちゃった事があるんですけど、その時捕まって以来、悪い事は懲りたと思ってたのに……信じられないです……!

今、ちょっと台所へ行って、包丁を持ってきました。
あたし、包丁なんて料理にしか使わないと思ってたんですけど…… もう引き返せません。
償いの意味も込めて……兄さんの事はあたしが裁きます。
誰かが手を汚さなきゃいけないんです。だから、あたしが……。
あ、兄さんが帰ってきたみたいです。 この部屋へとまっすぐ向かってきてます。
おかえりなさい、兄さん。
そして…………さよなら。

43 名前:外山恒一の開発者  発信日:2003年 8月29日(金) 18時27分
外山恒一の開発者です。
とある研究所の極秘実験用サンプルとして生まれた生物兵器。 それが外山恒一です。
実験中のちょっとした手違いで外山恒一は残念ながら失敗作となってしまいました。
すぐに処分してしまう事も出来ましたが、開発チームの一人が、巨額をつぎ込んだのだから失敗作なりに活用しないと惜しい、と言うのです。
しかし失敗作である事に変わりはないのでリミットを設けることにしました。
外山恒一の心臓に小型の爆弾を埋め込んだのです。時が来れば外山恒一は自動的に処分される訳なのですが、最終実験で外山恒一の適性検査をしてしまったのが間違いでした。
我々は失敗作である外山恒一に一般人と同レベルの知能を期待していたのです。
愚かな考えでした。福岡の高校に進学させた途端、この有様です。
厨房の荒らしにすら劣る数々のトラブルを起こし、教職員や同級生の皆さんに多大な迷惑をかけてしまいました。
決して許される問題でない事は我々も充分承知しております。外山恒一はあと30秒後に爆破されます。
せめてものお詫びとして、実験で得た外山恒一に関するデータは外山恒一の死後、完全に破棄致します。

本当にすみませんでした。
                         開発チーム一同

44 名前:外山恒一の兄貴分  発信日:2003年 9月 9日(火) 19時28分
外山恒一の兄貴分の者でございます。
今回は、私の弟分が御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

外山恒一は馬鹿な同期の組員にそそのかされてシャブに手を出してしまい、現実と虚構の区別などの正常な判断が出来ない状態なのです。 
本来の外山恒一は非常に優秀な組員で、腕っぷしも強く、今時の若い衆には珍しく義理と人情というものを理解しておりました。
しかし、シャブに手を出してからはまともにシノギも手伝わず、幹部連中の女には手を出すわ、組の金を使い込むわ、舎弟を何人も病院送りにするなど狼藉の限りを尽くしておりました。

その上まさか、このようなところでカタギの皆様に御迷惑をおかけしていたとは、最早お詫びの言葉もございません。
これ以上は私も外山恒一と兄弟盃を交わした身として黙ってはいられません。
今日の朝方、奴が酔いつぶれて寝た隙にきっちりと私の手で落とし前をつけさせて頂きます。

今回の事を踏まえ、組の方でも若い衆の教育を徹底していく所存であります。

45 名前:外山恒一が中退した高校の校長  発信日:2003年 9月21日(日) 21時49分
外山恒一が中退した高校の校長です。

皆さんは、今日から3年間この学校で共に生活していくわけですが、一つ、誓って欲しいことがあります。
それは、最近、福岡市内で、何かと話題になっている外山恒一がいますね。
皆さんは、絶対にこの外山恒一のようにならないでください。
皆さんも聞いたこともあると思いますが、外山恒一は、中学生の頃から長い反抗期に入り、精神障害に陥り、まともに高校にも行けず、糞電波を発し続け、ついに刑務所に入ってしまったということです。
皆さんのこれから3年間、色々、辛いこともあるでしょうが、そういったことに負けずに、どうか人としての道を踏み外して外山恒一のような人格破綻者にならないようにしてください。

46 名前:外山恒一の切腹の立会人  発信日:2003年 9月28日(日) 20時50分
外山恒一の切腹の立会人でござる。
皆様もご存知の通り、外山恒一は夜毎に婦女子をかどわかし、 道を歩けば、必ず女性弁護士を理由無く、誹謗中傷する悪人でござった。
そして、ようやくこの度、外山恒一の判決が決まったのでござる。
しかし、当然と言うか、当日になっても外山恒一は、頑なに刑務所送りを拒否し続け、無理矢理、拘置所から引きずり出したところ激しく暴れだし、これでは懲役にならんと大老も頭を痛めておいででござった。
それでも何とか、入所の際の肛門検査までいったのでござるが、 そこから先は、全く遅々として進まず、もう現場はグダグダでござった。
痺れを切らした看守が、それならば俺が切ってやろうと刀を振りかざしたところ、外山恒一は涙と鼻水と涎、顔から出る液体全てを垂れ流しながら、命乞いを始めたのでござる。
看守の足にすがりつき、惨めに命乞いをする様を見て、大老は側近の方と協議をなさって、その結果、外山恒一に一刻も早く死んでもらわねば、藩の恥になると、 もう切腹じゃなくていいから、とにかく切ってしまえとおっしゃられた。
しかし、外山恒一は涙と鼻水と涎と糞尿、加えて興奮した介錯人に殴られた時の鼻血と人体から出る液体全てを垂れ流して、命乞いを始めたのでござる。
大老の足にすがり付き、この上なく惨めに命乞いをする様を見て、殿は大老と協議をなさって、その結果、外山恒一に一秒でも早く死んでもらわねば幕府の恥になると、 何としても切腹させよとおっしゃられたのでござった。
そこで、拙者は外山恒一に睡眠薬入りの飯を与え、眠ったところを二人羽織りで切腹するというなんとも珍妙な手段で切腹をするという事を提言したのでござる。
そもそも儀式の中で飯を食わせるなんていくらなんでも怪しまれると思ったのでござるが、物は試しと、外山恒一に薬入りの飯を出したところ、外山恒一は、飢えた野良犬のように何の疑いも無く 薬入りの飯を平らげたのでござった。これには大老も目を向いて驚いていたでござる。
あとは、驚くほど簡単に事は進み、無事に外山恒一の切腹は行われ申した。
だからして、皆様方は、もうご安心めされい。
では、失礼。

47 名前:外山恒一を哀れんでいる福岡市内の通行人  発信日:2003年 10月10日(金) 21時21分
外山恒一を哀れんでいる福岡市内の通行人です。

世の中、外山恒一が「エライねぇ」「カッコいいね」って認めて、もらえるわけないのにね……。
なんで外山恒一は、有名に、豊かになりたいんだろう?
なんで外山恒一は、モテて、満たされたいんだろう?

ムリなのにね、クズには。
福岡市内の壁にペンキで落書きしてみても、 駅前でギターをかき鳴らして、がなり立ててみても、音痴な歌でデモテープとかを自作して、レコード会社を回ってみても、アホな劇団とかをやって自己満足に浸ってみても、326ふうのポンチ絵を、たくさん描いて路頭に座ってみても、フライヤーとかを作って、自称アーティストのふりをしてみても、 誰にも使える高性能カメラで、“それっぽい”写真を撮ってみても、ビデオや8_で、ブス姉ぇちゃん主演の映画を撮ってみても、DJのマネごととかをやってみても、 髪を染めたりドレッドにしてみても、「夢を探すため」と称して、フリーターなんかをやってみても……本っ当に 外山恒一 にはムリなのにね。クズだから。

あまりにもひどい外山恒一 が、あまりも純粋に、ありもしない「才能」を信じている……「自分主義」というか「ミーイズム」蔓延の病根は深い。
やっぱり、個性重視教育や「ひとりひとりの自由を大切に」といった思想がもたらした不幸なんでしょうかねぇ。

48 名前:外山恒一の自衛隊時代の上官  発信日:2003年 10月19日(日) 19時55分
外山恒一の自衛隊時代の上官です。
このたびは外山恒一が、皆様に大変、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。
外山恒一は、何も考えない高校中退から、福岡で、当方の勧誘員がおごっただけで、自衛隊員となった男ですが、初めての実習で物覚えが悪く、教官から叱責を喰らい、同期の隊員からも嘲笑を受け、初めて体験した競争社会のつらさに耐え切れず、歪んでしまったというのが、事の真相です。
訓練のたびに集団行動を乱すものですから、医務官に診察してもらったところ、「心的外傷ストレス障害」なる病気に侵されてしまったようです。
そして、このたび、この福岡の街頭で、度々、このような妄言を吐き散らしているとの連絡を受け、皆様にお詫びしている次第です。

49 名前:外山恒一の隣人  発信日:2003年 11月13日(木) 21時12分
外山恒一の隣人です。
先程、外山恒一の家の方から、彼の「うあああああああ!」というけたたましい叫び声と何かものが壊れるような「ガチャーン」という音が聞こえ、驚いて、彼の家に行ってみました。
出てきたのは彼の母親だったのですが、余りにも突然のことにオロオロされておりました。
私も状況が、よく把握できてませんでしたので、とりあえず、お母様に「どうしたのですか?」と尋ねたところ、「それがわからないんです。いつものように部屋でパソコンをいじっていたようなのですが、急に暴れ出して・・・・・」と、涙ながらに困惑し果てた様子で答えました。
とりあえず、私は彼の少ない理解者という事で、彼の様子を見に行ってみました。
私が彼の部屋のドアを開けると、そこにはパソコンと割れた窓ガラスが散乱しており、件の彼は、少し落ち着いたらしく、もう暴れはしておりませんでしたが、ベッドの上で頭から布団を被り、ブルブル震えながら泣いていました。
私は、彼に「どうしたのか?」と尋ねたところ、 「誰もボクの言うことを聞いてくれない、それどころか、みんなバカにするんだ」と言いながら、激しく泣き出してしまいました。

彼は、元々、情緒不安定なところがあり、その為に高校を中退してから、ずっと 三十路を迎えた今でも特に仕事はしていなかったのです。
私は、そんな彼を哀れに思い、暇を見つけては彼の話し相手になってあげてましたが、 最近は彼自身も自分自身に嫌気が差しているようで、何度か自殺未遂もしております。

この度のことで、皆様には、大変、ご心配をお掛けいたしましたが、元々、外山恒一は、人とうまく付き合えるような人間ではなかったのです。
私は、隣人として、彼のそう言った所を直そうと努力はしたのですが・・・・残念です。

50 名前:外山恒一が、入院している精神病院の医師  発信日:2003年 11月24日(月) 02時24分
外山恒一が、入院している精神病院の医師です。
皆様に外山恒一の取り扱い上のご注意を申し上げます。

     〜〜〜〜〜>>外山恒一の取り扱い上の注意〜〜〜〜〜

・ >>外山恒一は、精神不安定状態ですので、あまり煽られると意味不明な言動が表れることがありますが、ご了承ください。

・ >>外山恒一は、ただいま失業状態でもあり、自分の人生も悲観しています。
  その為、すぐ自殺未遂したりしますが、心配はいりません。我が病院が総力を挙げて揉み消します。

・ >>外山恒一は、精神力や、忍耐力に欠けているため、すぐに飽きたり、
  逃げたりいたしますが、そんな時は外山恒一の為を思い、不幸の手紙でも送ってやってください。

・ >>外山恒一は、自意識も薄く、自分が、今、何をしているのか分からなくなることがあります。
  その為、自分のしている事を棚に上げて、人を無能呼ばわりすること、また、
  自分の頭の悪さ等を棚上げして「馬鹿」などとほざいたりしますが、気にすることはありません。

・ >>外山恒一は、記憶力が大変、弱いため、もし皆様のお力で改心させ通常の状態になることができても、
  明日にはそれを忘れ、また犯罪を犯すことがあります。そのような場合、速やかに警察に捜査依頼を出してきてください。

・ また外山恒一は、ときたま意味の分からない左翼用語を連発することがあります。
  そのような場合、「お前の好きそうな画像だ」とでも言ってブラクラでも貼ってやってください。
  きっと喜んで、ひっかかります。

------以上です。我が病院の愚かな患者が、皆様に多大な迷惑をお掛け致しまして、
 我が病院の医師共々、深くお詫びいたします。

51 名前:外山恒一の幼馴染み  発信日:2003年 11月25日(火) 20時19分
外山恒一の幼馴染みです。

外山恒一は人から好かれるタイプの性格でした。学校でも人気者で、いつも大勢の友達と楽しそうに会話をしていました。
そんな外山恒一が、どういう訳か突然人格が変わってしまったのです。
私はよく外山恒一の家に遊びに行っていました。
外山恒一の親も、異性同士でありながら仲の良い私達を見て、 いつも快く私を迎えてくれました。しかし昨日は違いました。
いつものように外山恒一の家の前でインターホンを押した時です。
外山恒一の母に「ごめんね、今外山恒一はちょっと出られないの。悪いけど帰ってもらえない?」と言われました。
こんな事は初めてです。不審に思った私は外山恒一と余計に会いたくなりました。
「どうしても外せない用事があるんです。どうか外山恒一に会わせてくれませんか?」
と嘘をついてしまいました。今思えば心の底で外山恒一を心配していたのでしょう。
少しの沈黙があってから、外山恒一の母は口を開きました。
「幼馴染のあなたになら判るかもしれないわ・・・。」
そう言って私を家へ入れてくれました。
外山恒一の部屋に入った瞬間、私は思わず足を止めました。そこにいつもの見慣れた光景はなかったのです。

まず最初に目に飛び込んできたのは、夥しい数のスプレーの落書き。
部屋中どこを見ても、訳のわからない文字や絵で埋め尽くされていたのです。
部屋の中は恐ろしいほどに荒れていました。そして、一番奥の方でパソコンに 向かう外山恒一の姿。
「どうしたの・・・一体どうしちゃったの・・・?」
私が問い掛けても、外山恒一にはまるで聞こえていない様子でした。
「殺ス・・・殺ス・・・殺シテヤル・・・」
ひたすら同じ言葉を繰り返していました。 前に外山恒一が自慢げに話していたのを思い出しました。面白いHPがあるんだ、と。
それが、だめ連福岡の事だったのです。今まさに外山恒一はそこへ書き込みをしている最中でした。
矢野通彦。熊本の知人T。さおさおりんご。古館真。・・・・・・・・・・・・・。。。
実に様々なレスがついていました。それを見て私は悟りました。
もう・・・もうダメなんだね。私には外山恒一を救えるだけの力は無い。
外山恒一は私の知らない所に行ってしまったんだ。
私はゆっくりと部屋を出ました。廊下で外山恒一の母を見かけましたが、無言で横を通り過ぎました。
家を出たところで振り返って家を眺め、そして呟きました。
「さようなら」
私から外山恒一への、精一杯の最後の言葉でした。

52 名前:外山恒一を一日密着取材してきた某TV局の取材班です  発信日:2003年 12月 8日(月) 20時41分
自宅のダンボールのお住まいから出てきて、「いや〜久々のオフだよ」 と豪語するのは、傷害と名誉毀損で有罪判決を受けてしまった外山恒一。
座右の銘が、「生涯 浮浪者」という外山恒一は、久々のオフにもかかわらず、真っ白ブリーフ一枚に真っ赤なラメ入りのタキシード、頭にはウルトラクイズの「?」マークが立つ帽子をかぶり、 背中にギターを背負ったいでたちで、愛車の錆びが、所々、ある自転車にまたがり、「じゃあ、今日は天神通りを攻めてみようか」と言い残し、私達、取材班の前から、さっそうと消えました。
その後、私達は、路上ライヴを始めようとしていた外山恒一を発見。
ギターケースからギターを出そうとした瞬間、高校中退時代、お世話になった刑事さんの影響で、警官になったばかりの警察官に「おい、おっさん!こんなところでナニをおっぱじめる気だ!? やんのかゴルァ!」と、ビーバップにモロ影響を受けているようなことを言われ、外山恒一は、警察官のあまりの脱糞ぶりに、かぶっていたウルトラクイズ帽の「?」をボタンを押して、立てては、元にもどし、 立てては、元にもどしを繰り返していたところ、「危険」を察知した警官が発砲。
大空に向かって、何発も発砲する警官を見て、外山恒一は、「これがバカボンの本官ってやつか」 という名言を残し、その場から立ち去ってしまいました。
その後、また外山恒一を見失ってしまった私達は、自宅のダンボールに戻ってみようとしていた途中、ゴミ箱から今日のディナーをあさっている外山恒一を発見。
「今日は、イイ画が撮れただろ?」と満面の笑みで、私達、取材班を迎えてくれた外山恒一の歯の隙間には、お昼に食べたらしいネズミの尻尾が見えていました。
私達が撤収して帰ろうとした時、「?」マークも電池切れなのか、斜め45度のあたりで止まり、寂しげに私達を見送ってくれました……。

本当にイイ密着取材ができて私達も満足でした。なお、放送は未定です

53 名前:外山恒一を轢いたトラック運転手  発信日:2003年 12月15日(月) 02時00分
外山恒一を轢いたトラック運転手です。
私は、長距離トラックをやっているんですが、 たまたま、その日は高速道路が込んでいたのでI・Cを降りて、一般道を走っていたんです。
んで、しばらくそうして走っていたら、 ふと、歩道を見たら今まで見た事も無いようなきれいな女が歩いていたんです。
私は、つい見とれてしまいました。もちろん、前なんか見ていません。
その時、前方から「ふおぉ〜」という何とも情けない声が聞こえたんです。
何だ!? と思って前を振りかえった、その瞬間、ドン! という鈍い音がしたんです。
瞬時に理解しました。人を轢いたのだと。
すぐさまブレーキを踏み、車を路肩に停めて、その轢いてしまった人に駆け寄りました。
その男、外山恒一は血まみれで倒れていました。
ああなんだ、ビックリさせやがって。轢いたのが、人じゃないなら問題無いとほっとしました。
と、その時、外山恒一が、うめきだしました。そして息も絶え絶えにこういったのです。

「・・・びょ・・病・・・院・・連れ・・・て・・」

人権も持たない奴が、何を言っているのかと、私はその言葉を黙殺して 車に乗り込もうとしました。
そして、ふと車のバンパーをみて言葉を失いました。
愛車のバンパーが、奴のせいで、5ミリほど歪んでしまっていたのです。
私はトラックに乗り込み、バックして、もう一度、外山恒一を轢き直しました。
もちろん、そんなことをしても愛車は直りませんが、奴ごときに愛車を汚されたなんて思うと怒りを通り越して、吐き気がします。
奴は、断末魔の叫び声を上げて息絶えました。 また車を発進させる際に、念のため、もう一度、轢いておきました。
皆さんも気をつけて車を運転して下さい。
いつ、外山恒一が、私たちの車を汚しに来るかわかったものではありませんから。

54 名前:外山恒一を観察した哲学者  発信日:2004年 1月12日(月) 19時59分
外山恒一を観察した哲学者です。

まったく こいつはとことん腐っている。
外山恒一の精神はまるで病人 。
その病気とは 「いつどんな時も、とことん真剣になれぬ」という病だ。
自分が特別な存在なのは人間なら当たり前だが やつはあまりにそれに溺れすぎ。自分の空想と現実をごっちゃにする甘ったれだ。
いつだって 許されると思っている。高校を中退しようと、極論、監獄に入ったとしても、自分は悪くない、自分は許される。
なぜなら、いま起こったこの事態はあくまで「仮」で、本当の俺の預かり知らぬこと。
そう考えるからだ。嘘じゃない。
学校で「法律は守れ」と散々言われたはずなのに、やつは自分の都合でそれを勝手にねじ曲げる。
気分次第で破ってもいいようなものに作り変えてしまうんだ。つまり真剣でないのだ。
根っこが腐っているとしか言いようがない。通常やつのような人間は 生涯その「仮」から目覚めない。
愚鈍に寝たいだけ寝て、半ば眠っているような意識で日々を繰り返す。
退屈を忌み嫌いながら、その根本原因病理には、ほおかむり。
なぜそんな糞おもしろくもない気分で この貴重な一日一日を塗りつぶせるのかというと いつどんな時も現実は、やつにとって「仮」だからだ。
つまり偽物。
「こんなものが自分の本当のはずがない」
やつは、そう思いたいんだ。ゆえに30、40になろうと、やつは言い続ける。
自分の人生の本番はまだ先なんだと、「本当の俺」を使ってないから、今はこの程度なのだと。
そう飽きずに言い続け 結局は 老い・・・・死ぬ!!
その間際、嫌でも気づくだろう 今まで生きてきたすべてが、まるごと「本物」だったことに。

55 名前:吉田栄作  発信日:2004年 1月14日(水) 03時39分
こんばんは。吉田栄作です。
5人の虎の前に現れた一人の外山恒一が、自分の性欲と野望を実現する為、今日も犯罪を起こしました。
今度こそは、検事の追及をまぬがれたい。福岡地裁の裁判官を丸め込みたい。そんな外山恒一の夢は叶うのでしょうか…。

(ナレーター)
今週…ある虎は…そんな外山恒一を一蹴した…。事実…外山恒一は…撃沈した…。
それでは…その…一部始終を…ご覧いただこう…。

■堀之内九一郎( 生活創庫代表取締役社長 )
私もねぇ、実は、今の外山恒一と同じでホームレスやってたときもあったんですよ。
でも、外山恒一は個人情報など何もウプしていないし、高校中退後のしっかりした目標がない。もう終りにしよう。

■上野健一(ノシアス理想都(株)代表 )
外山恒一にはね、オーラパワーが無いんだよっ! オーラパワーがっ! 私はね、今まで人に出来ない事をやってきた。
それが出来ない外山恒一はダメ。まぁね、外山恒一が大阪に来るならちょっとは考えてもいいんだけどね。

■加藤和也( ひばりプロダクション社長 )
俺も他の皆さんと同じ意見ですね。外山恒一は逝って良しです。ちゃんちゃらオカシイって言うか、
「革命家」を騙って普段のストレスを発散してるだけ…。そんな風にしか見えないんですよ。

■高須基仁( モッツ出版代表取締役 )
外山恒一はハッキリ言ってボゥイだよっ!ボゥイッ!
俺ならねぇ…、犯罪起こすならスペシャリストになってからたてるよ!スペシャリスト!
裁判になってから盛り上げますじゃぁ遅いんだよっ!努力しろっ!

■川原ひろし( なんでんかんでんフーズ社長 )
うちのラーメンくってみろ! そうすりゃ外山恒一に何が足りないか分かるよ!

56 名前:松平定知  発信日:2004年 1月15日(木) 19時34分
9時15分――。

こんばんは、松平です。
歴史を大きく動かした「その時」には、 その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。
今日の「その時、歴史が動いた」は、外山恒一が、オナニーを母親に目撃されたその時をご紹介します。
〜〜〜〜〜
外山恒一がオナニーを目撃されるまで、あと3日。
〜〜〜〜〜
さあ、今日の「その時」がやって参ります。
外山恒一は手の動きを加速させながら、勝利を確信していました。 と、そのとき、知らずのうちに忍び寄ってきた彼の母親がいました。
〜〜〜〜〜
彼が何故、ズボンをあげるよりもエロ本を閉じることを優先したのか、これは現在に至っても、未だなお日本の歴史上最大の謎とされています。
〜〜〜〜〜
今日は、後日、発見された彼の日記をご紹介して、お別れしたいと思います。

「過去半年ノ隠蔽ニ拘ワラズ、秘密護持ノ大任ヲ果タスコト能ハザリシハ
本職、不敏ノ致ストコロナリ。本職ハ自慰行為ノ無窮ト男子本懐ノ高揚ヲ確信シ、
今日ヲ以テ寄リ、自己鍛錬ト書籍購入、ソシテ隠蔽ニ全力ヲ注入スル他ナシ」

57 名前:バカが、大好きな者  発信日:2004年 1月21日(水) 20時16分
外山さんを嫌っているみなさんには悪いのですが、 私は、外山恒一さんが大好きです。

女性にふられてやらせてほしくて、俺(ブス&性格悪)に惚れない女が悪いと言い、俺にやらせろ発言を繰り返し、自分がもてないことを自慢し続けている彼を見ると日々の疲れが癒されます。

彼の罵声は私にささやいてくれているようです。
「君はバカじゃないさ。世界一バカなのは俺だよ」

・周りの蔑みを含めた同情を、同調してくれてると思っていい気になる。
・そして嘲笑されていることに気付かず喜ぶ。
・都合が悪くなったら話を逸らす。
・知ったかぶり(しかも間違いだらけ)。
・もてない、性格の悪い自分が招いた女達を女の「標準」にしている井の中の蛙。
・間違いを指摘されても最後の最後まで誰かのせいにする見苦しさ。
・優れてる人は吠えないということも理解していないガキっぷり。

もう最高です。

ここまでの理想的なバカは見たことがありません。彼以上のバカはいません。
あのバカさ加減は、一朝一夕のものではないはずです。彼の持つバカの才能を感じさせます。

「よかった。私はここまでバカじゃない。」

みなさんもそんな目で彼を見てあげたら、 彼を大好きになれると思います。

58 名前:田代マーシーを思い出す者  発信日:2004年 1月22日(木) 00時51分
外山みたいなヤツを見るとあの日のことを思い出すよ。あれは忘れもしない2001年12月10日。
不況と寒さで世の中から本格的に話題と笑いがなくなりかけた日だよ。
テレビも雑誌もおもしろくない。世間はつまらん話ばかり。そこにあの人が現れたんだ。
そう、あの日の田代さん。かっこよかったんだぜ。
笑いの神が宿るってのは、まさにあの日の田代さんを指す言葉だよ。
面白い話題がないって聞いたもんだからさ、田代さんは自分の体を張って、再び、性犯罪をやってくれたんだよ。
しかも、男の風呂をのぞくという、自分もダメージを負いかねない自爆行為をさ。
そしたら、日本中が揺れるほどの笑いが起きたんだよ。
爆笑どころじゃない。超大爆笑。
老若男女、日本国人全員が、涙、流しながら笑い転げたんだ。
でも、田代さんは、それでも笑いが足りないと言わんばかりに家にわざわざ覚せい剤まで隠していたんだよ。
また、日本中が、笑いの渦。皇太子が、腹、抱えて笑ったってくらいだ。
しかも、それを警察に見つけさせるために覗き容疑認めたってんだから。
まさしくプロだね。つーか笑いの神。ここまでいくと。

それに比べて外山恒一よ、お前、自分を恥ずかしいとは思わんのかい?
真の笑いってのは、ちょこちょこっと文章書いて、くだらないビラ配るくらいじゃ得られんのよ。
真の笑いってのは、まさしく、あの日の田代さんだよ。
もはや死んでもかまわない。でも、オチだけはきっちり残す。
あの幾重にも仕掛けられた多重オチの数々。

絶対、またやってくれるよ。田代さんは、そういう男だよ。

外山恒一も、ちっとは田代さんを見習って、いい性犯罪起こせや。約束だぞ。

59 名前:ワシは、外山恒一の保護者でもなければ家臣でもないし、背後霊でもないし、妹でも主治医でも、ましてや異物を埋め込んだ宇宙人でもない  発信日:2004年 3月13日(土) 09時27分
ワシは、外山恒一の保護者でもなければ家臣でもないし、背後霊でもないし、妹でも主治医でも、ましてや異物を埋め込んだ宇宙人でもない。

だから外山恒一がこのようなスレを立てたことに関して、外山恒一を擁護するようなレスをつける縁も義理も無い。
できることなら『逝ってヨシ』とか『氏ね』などとレスをつけたい・・・。 ワシも外山恒一を抹殺したい・・・。
しかし外山恒一のコトを考えると、それができないのだ。

…外山恒一は幼少のころから周囲から『きちがい、きちがい』と見下され、もちろん友達もできず、親からも見離され施設にいた経緯を持つ。
しかし外山恒一は性格と「きちがい」からか、施設では同性から性的虐待を受け、同性から犯され続けた。おかげで肛門は、拡がったままだ。

そうワシも、そんな外山恒一の後ろの穴を犯しつづけた一人なのだ。
だから外山恒一がこのような犯罪を起こしたことを責める事ができない。
判って欲しい。
外山恒一の肛門はとっても具合がいいのだ。 女子高生の膣なんかメじゃない。

・・・これからも外山恒一とワシがアナルセックスを楽しめるよう、どうか外山恒一のことを判って欲しい。

60 名前:外山恒一の子孫 (22世紀からやってきたタイム・トラベラー)  発信日:2004年 3月16日(火) 08時47分
| この度は外山恒一がこんなスレッドをたてて申し訳ございません。
| たしかにこんな駄スレをみてしまったみなさんは外山恒一に怒りを持ってしまうでしょう。
| だからといって外山恒一を罵倒するレスをつけるのはやめて下さい。
| これは警告です。
| 日常生活で人に相手にされず、その辛さをビラ配りという前世紀の旧メディアではらす外山恒一。
| 外山恒一にとっては、それだけが人生の安らぎの場なんです。
| ここまでもがあなた達の心無いレスによって奪われてしまえば、外山恒一の心は崩壊してしまうんです。
| そして、外山恒一はあんな事件を…
| だから、もうやめてください、本当にやめて下さい。
|
|最後に、ひいおじいちゃん、僕のレスをみたら自分のやろうとしている事を思いとどまって下さい。
| ひいおじいちゃんのせいで僕らも辛い生活を……
|    あ、…………  か   らだが………きえ  ていく………
| よかっ   ………た……    …………これで歴史も  ……
|   かわって……………

61 名前:  発信日:2004年 3月17日(水) 13時49分
神です。

願い事が世界各国から沢山寄せられていますが、最近多いのは、外山恒一に対する天罰と言う事で、神仲間と現在、協議中です。
モーやんは(皆さんの間ではモーゼと言われています)
そんな奴、砂漠に放り出してサソリとお友達になってもらえ!と言うし
ブッっちゃんは(仏陀と呼ばれています)苦行命取りバージョンの
実験台にせえ!言うし、キッシン(キリスト)は、ユダはこの際許そう、
そやけど外山恒一だけは許さん、ムチもってこい、磔にして晒しageたれ!というて息巻いています。

天罰は、もう少し待ってください。
もし、皆さんに何か良いアイデアなどありましたら、夕餉のお祈りの時でも結構ですし、お近くの神社でもOKですし願い事として、どしどしお寄せ下さい。
抽選で1000名の方に、罪10回フリーパスを差し上げます。(なお、殺人は無効です)

62 名前:>>外山恒一死去のお悔やみ  発信日:2004年 4月16日(金) 02時03分
拝啓
皆様方には、ますますご活躍のことと心より、お慶び申し上げます。
平素は、なにかとご厚情にあずかり、誠にありがとうございます。

さて、外山恒一様、ご他界あそばされた由、ここに謹んで哀悼の意を表わします。
外山恒一様は、高校中退界の創立以来、今日の隆盛にお導きなされ、また、高校中退業界の発展にも絶大なご尽力をされました。
外山恒一様を失いますことは、高校中退界はもとより、犯罪界の大きな損失でございます。

このうえは、ご冥福を祈り、ご供養こそが、専一と考えております。
直ちにお悔みに参上いたすべきところ、遠方のため意に任せず、不本意ながら、書面をもってお悔み申し上げます。
取り急ぎ、書中をもちまして、お悔やみ申し上げます。

                          敬具

63 名前:社会不適応症野郎――だめ連 福岡  発信日:2004年 4月21日(水) 11時21分
福岡市親不孝通りで鳴らした、俺達、「だめ連福岡」は、さんざん馬鹿にされ、親や世間から見離された。
一般社会から脱落し、身勝手で自堕落なモラトリアム集団を作った。
もちろん、いつまでもマジメに働いているような俺達じゃあない。
自己中心的なわがままなら、なんでもやってのける――いい歳した30過ぎの大バカ者、可能を不可能にし、社会倫理から逃回る――俺達、社会不適応症野郎――だめ連福岡!

俺はリーダー、外山恒一。通称、インチキ革命家。いい加減な御都合主義と空虚な詭弁の名人。
"情けないモラトリアム"をどこまでも正当化し、とっくに30才過ぎてるのにいつまでも大人になれない無職の中年男。
俺のような天才的嘘つきの病的虚言症でなければ、筋金入りの社会不適応症患者どものリーダーは務まらん。

ぼくは、矢野通彦。通称、親不孝息子。
納税者の血税で運営されている国立徳山大学卒ながら、犯罪者=外山恒一と親密交際中。。。。
職歴は、もう滅茶苦茶。30才になっても、惨めなフリーターだ。国立の四大卒でも正社員になれない。
これからも「前科者と付き合う」という親不孝をくり返して、さんざん両親を泣かせてみせるぜ。

熊本の知人T。通称、腐れ友達。社会に対する言い訳の天才だ。
福岡拘置所にでも、面会に行ってみせらぁ。でも、まともな就職だけはかんべんな。

よお、お待ちどう。わたくし、古館 真。通称、アルサッカ。http://www.geocities.jp/fghi6789/
自費出版しかできない売れない無能の無名作家だ! 奇人? 変人? だから、なに?

俺達は、どうしてもなじめないこの世の中から情けなく逃げ回り、"いつまでもモラトリアムしていたい"――"大人になりたくない"と社会にだらしなく甘える――全く頼りにならない社会不適応症野郎――だめ連福岡!
いい歳して、さんざん親不幸をやって、たっぷり両親を泣かせて、近所で肩身の狭い思いをさせたいときは、いつでも言ってくれ!

64 名前:福岡地方裁判所の傍聴人  発信日:2004年 4月25日(日) 17時21分
そんな事よりよ、1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。

このあいだ、近所の福岡地方裁判所、行ったんです。裁判所の法廷。
そしたら、なんか廃人同然のバカ左翼や情けない社会不適応症患者が、めちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか、垂れ幕下がってて「人間のクズは、150円引き」とか書いてあるんです。

もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで、普段、来てない福岡地裁に来てんじゃねーよ、ボケが。150円だよ、150円。
なんか矢野通彦、熊本の知人T、さおさおりんご (写真左)http://www5d.biglobe.ne.jp/~aki2/saosao/index.html、国東弘行、ぴーまんとかもいるし。人間のクズ仲間で裁判所か。おめでてーな。
よーし、裁判傍聴しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

お前らな、150円やるから、その席、空けろと。裁判所の法廷ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
傍聴席の隣に座った奴と、いつ、喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。

で、やっと座れたかと思ったら、被告席の外山恒一が「自称 革命家」とか言ってるんです。
そこで、またぶち切れですよ。あのな、「自称 革命家」なんて、きょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して、何が「自称 革命家」だ。
お前は、本当に「自称 革命家」なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間、問い詰めたい。
お前、「自称 革命家」って、言いたいだけちゃうんかと。

裁判通の俺から言わせてもらえば、今、法曹家の間での最新流行は、やっぱり「日高明子への傷害」と「女性弁護士への名誉毀損」、これだね。
好色女・日高明子との淫乱なセックスと女性弁護士の信用を落とす。これが、通のやり方。
日高明子ってのは、社会不適応症で自意識過剰の左翼演劇女。だから、モテない。
そこを狙って、強姦まがいにセックスを強要し、素っ裸に剥いて、その肉体を思う存分、楽しみ、あり余る性欲を満たす。
その上、自分の劣等精液で妊娠させて、堕胎させて、更にまた強姦まがいにセックスする。これ。
で、そこで、更に、日頃、対立していた福岡市のフェミニスト系弁護士の信用を徹底的に傷つける。これ最強。

しかし、これをやると日高明子と女性弁護士に訴えられて、悔しまぎれに「裁判のエンタテイメント化」やって、福岡県警に逮捕されて、手錠かけられて、新聞沙汰になって、余計に裁判長のヒンシュク買って、裁判で負けて、刑務所行きになって、囚人になって、毎日、きつい刑務作業やらされて、前科がつく――という危険も伴う両刃の剣。
素人には、おすすめ出来ない。

まっ、外山恒一は、一生、刑務所に入ってなさいってこった。

65 名前:外山久恒 (外山恒一の父)  発信日:2004年 4月29日(木) 00時08分
外山恒一の父です。

皆様におかれましては、ますます、ご健勝のこととお喜び申し上げます。
このたびは、息子が、大変、ご迷惑をおかけすることとなり、誠に申し訳ございません。
元をただせば、私がいけないのです。
これまで私は、明けても暮れても、仕事仕事、週末も接待ゴルフと、まさに仕事人間として生きてまいりました。
思い起こせば、息子が、生まれてこのかた、まともに遊んでやったこともないような気がいたします。
ところが、私は、去年、リストラにあい、自宅にいるようになって、息子の状況に気づいたときには、もはや手遅れでした。
私には、息子――恒一が、何を考えているのか、さっぱりわかりません。
ひとえに親としての不徳のいたすところでございます。
私自身、失業中の身であり、息子を責めるわけにもまいりません。
一刻も早く仕事を見つけ、親としての勤めを果たしていく所存でございます。
みなさまには、今、しばらく、うちのバカ息子が、お世話になろうかとも思いますが、ぜひとも、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

外山恒一の父――外山久恒より。

66 名前:外山 恒一  発信日:2004年 5月13日(木) 00時41分
【【【【【【【【【【【【【【【【 謝 罪 文 】】】】】】】】】】】】】】】】

 前回の裁判を傍聴された方は、お判りだと思いますが、私は、今回の裁判を通じて表現者としての未熟さを自覚し、今回の被害者の方に謝罪の意を表しております。
 そして、実際、以下のような趣旨の手紙を被害者の方に送付しております。

被害者様
 獄中で、自らの為した行為について冷静になって、何度も考え直してみたところ、やはり自らの非を認め、御迷惑をお掛けしたことを率直にお詫びすべきことに今更ながら思い当たり、今頃、なんだと思われるかも知れませんが、こうしてお手紙している次第です。
 法廷でも述べました通り、先日、お出ししたお手紙は、未だ反省が、充分でない段階で書いたものであったため、言い訳がましく、ご不快な点があったろうことも、又、お詫び申し上げます。
 確たる証拠もなしに、御貴殿を誹謗する文章を公に発表し、御貴殿の名誉を著しく傷つけてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
 御貴殿ばかりでなく、ご子息をも不快にさせるような内容で、そのことも重ねてお詫び申し上げます。
 又、公判での防御の為とはいえ、一審法廷での非常に不快なものであったろうと思い、罪の上にも罪を重ねることになったのではと心苦しいばかりです。
 
 すべては私の表現者としての未熟さに起因するところであり、今回の事件について御貴殿および息子さんに心より謝罪致します。
 本掲示板を通じて、被害者の方に重ねて、お詫びしたいと思い、上記の手紙を掲示した次第ですので、少しでも、御宥恕いただければと存じます。

67 名前:ぶるーむ  発信日:2004年 5月14日(金) 17時55分
謝罪文、読みました。
正直、がっかりです。

敗訴してもいいから、謝罪などしないでほしかった。

結局、外山さんは、懲役延長が怖くて謝罪したんでしょう。
逆に言えば、そんなに懲役延長が怖いのなら、最初から、すべて謝ればよかったんです。

これでは、「フェミニストをやっつけろ!」という言葉を
本気で信じた者が、バカみたいじゃないですか?

本当に心底、がっかりです。

68 名前:Macska  発信日:2004年 5月25日(火) 23時01分
支援ページ見ましたけど、欧米なら無罪だとか欧米ならこんな暴挙はありえないとか、欧米崇拝的な文章が多くてげんなりしました。
ヨーロッパについては知らないから責任ある事は言えないけど、アメリカなら間違いなく有罪ですよ。
特に、法廷パフォーマンスなんてのにはすごく厳しいから、それだけで別の罪状になって刑務所に入れられます。
外山さんの裁判闘争を読んでいて、日本の法廷って良くも悪くも寛大なんだなぁと思ったくらいですから。

暴行は事実として被告も認めているし、名誉毀損は疑いようもなく事実。
捜査方法のどこが違法だったのかよく分からないんですが、
仮に違法な捜査があったとして、違法に入手された証拠は裁判で採用されないというだけの話。
今回の場合、違法に入手された証拠が決め手となったわけじゃないですね。

まぁ、普通だと確かに執行猶予は付くべきレベルの事件で、その点だけおかしいんだけど、
それはアメリカでそうなるというだけじゃなくて、日本でも普通はそうなる。
でも、あれだけ特殊な裁判闘争をやれば、そりゃ一般社会は不安に思って当たり前だし、
実刑は残念だけど仕方がないんじゃないかなぁと感じます。
というか、少なくとも本人はあの判決を覚悟した上でパフォーマンスしていたんだと思いたい。
「行動はあんなに珍奇だけど、実はそんなに危険な人じゃないんですよ」なんて弁護すると、本人に失礼な気もするし。

一般論として「反省」がやたらと評価される刑事裁判はおかしい、というのは私も同意ですが、アメリカも同じですよね。
グローバルスタンダード云々って話は、読んでいて恥ずかしいです。
「外山のパフォーマンスはグローバル・スタンダードに照らしてもやはり珍奇」という部分だけ、圧倒的に正しい(笑)。

69 名前:satsumaimo  発信日:2004年 6月 8日(火) 15時37分
外山氏の本を読んだけど、間違いが目立った。考え方の違いじゃなくて、間違いね。

登場人物をネットで検索したら何人か出てきたが、あまり幸せにはなってないように思う。
外山氏は身近にいるひとを不幸にするひとだなって思った。

どうしてこんなひとを支援するんだろう。不思議だな。

彼はモンスターにも影響力ある革命家にもなれないと思うよ。
思想に魅力がない。彼にできることで、目立つことって言えば、大量殺人くらいでしょう。

70 名前:Macska  発信日:2004年 6月10日(木) 14時18分
わたしから見ると、最初の裁判闘争自体は良かったのよ。
個人的には「そんなのウソでもいいから神妙な態度を見せたり謝ったりして済ましちゃえよ」って思ったりもするのですが、
法廷を劇場化するという試みはとても面白いし、結果的に損をしてもいいという覚悟があるのであればと、肯定してたんです。
でも、実際に判決が出たら、実は全然覚悟がなかった事が分かった(笑) 拍子抜けしちゃいますよねー。

そこで、「覚悟が足りませんでした、これからは真面目に裁判やります」とでもなればまだ許せたんですが、
逆の方向にアイロニーを失って、「政治犯である」とか「私刑である」と言い出して、その時点でわたしは支持できなくなった。
それでも、周囲の人が「大切な仲間を返せ」と釈放請求するのであれば、それは否定しません。
でも、彼と一緒になって政治犯だとか私刑だとか言っても仕方がないでしょう。

71 名前:ハルカ  発信日:2004年 6月11日(金) 10時27分
私はあの、加治木高校の卒業生です。年齢はメチャメチャ年下ですよ! 私は在学時に外山さんの本を読みました。
はっきり言ってすごくショックでしたよ。でも、興味はありました惹きつけられる所もあったのかな。。
友人に回していたら、何故か先生に知られて
「これを書いた男は社会のクズだ!読んじゃいかん!!」
とすごく怒られて、没収されました。

・・・いま、あらためて考えると、あの時、私は外山さんのことを忘れて、先生の言うとおりに勉強や学校生活を精一杯やって本当に良かった(^▽^)って、思えるんです。
私は加治木高校を卒業してちゃんと国立大学に進み、今は自分の夢に向かって精一杯励んでいますよ
常に社会との接点を見失わずに、でも自分らしく。。

72 名前:ぷぅ  発信日:2004年 6月12日(土) 14時41分
この判決が客観的に見て重いということは、支援ページにも具体的に書いてあるので、そこをごらんになるといいと思います。
おそらく、インターネットの書き込みでの誹謗中傷がどれくらいの罪になるか、なんてことは、おそらく判例にもあまりないでしょう。
だからこそ、ここで重い判決が出ることは、今後の裁判にも判例として大きな意味を持っているんだと思いますよ。

インターネットの書き込みでの誹謗中傷についてはすでに多くの判例があります。
古くはNIFTYの「F思想」裁判など結構有名な判例もあります。これらは裁判所のDBで無料で検索できます。
その上で申し上げますと、ネット上の誹謗中傷事件のほとんどは科料及び賠償金で解決しているみたいです。
ええ、中身を問わず「インターネット上で誹謗中傷した」ということだけできれば「重い」ということは言えるかもしれません。

しかし、判決文によると、裁判所は彼に対して様々な判決理由の末尾に

「独善的かつ自己中心的な犯行動機に酌量の余地はない」
「犯情はまことに悪質である」
「強固な犯意がうかがわれる」
「犯行結果も重大である」
「再犯のおそれも否定できない」

と一つ一つ加えています。
つまり、外山さんの行為が世に言う「インターネットの落書きの書き込み」なんていうあまっちょろいものではなかったと裁判所は認識しています。
さらに判決文では裁判所は外山に前科が無いことも考慮しても、非常に悪質なものであると認めています。
私に言わせれば、外山さんのやった名誉毀損は、今までのインターネットの名誉毀損とはまったく質の異なる悪質なものであり、「誹謗中傷の他の事件と比較した場合重い」ということ自体がナンセンスです。
外山さんの支援活動をされるのはいいんですが(それ自体は個人的な指向の問題ですから、やめろとはいいませんが)、「名誉毀損罪にしては重い」という他の事件と比較した主張はやめた方がいいと思います。
そもそも、先行判決の名誉毀損罪の方々もそれぞれの判決について「この判決は重い」と思ったんじゃないかと私は考えますし、外山さんが「他の名誉毀損罪と比べて重い」なんて発言をされたら「外山の犯罪と一緒にするな」ぐらいはいうんじゃないかと思います。
おまけでいいますと、孤高の革命家外山恒一が、裁判所の判決について「他の人と同じように裁いてください」と主張するのって、私は革命家らしくないと思います。

73 名前:ハルカ  発信日:2004年 7月 3日(土) 14時16分
私はあの本から逃れて、今は普通の幸せがあります。
普通に社会性もあると思うし、家族とも仲良しだし、自分の今までの人生に何一つ不満がないくらいです・・・たぶん。

でも、不思議なことに「外山恒一」の名を忘れられずにいたのも事実です。
お会いしてみたいと思ったことも事実です。
今頃あの人はどうしているんだろう、、、って
たまに思い出してもいました。
それで、最近なんとなく検索してみたら婦女暴行で逮捕されていたのです。
はっきり言ってショックでした(:−:)
本の記憶では、大検を受けて、早稲田に行く・・・なんてあったから。
学生時代のモラトリアムを乗り越えて、立派に生きていてほしかったのです・・・。

だから、とたんに、外山さんのことが大っ嫌いになっちゃいました。

そして、訂正したいのは、私が外山さんのことをなぜか気にかけていたことです。
嫌なんですけど。

74 名前:ぷぅ  発信日:2004年 7月 8日(木) 12時57分
私は出所後の外山さんの活動に期待している人間の一人です。
ただし、今回の件に関しては外山さんに対する刑罰は極めて妥当なものであったと考えています。
その根拠もちゃんと示しました。
従って、私が主張するのは、「刑期を終えてちゃんと出所してほしい」というものです。
しかし、仮にこの件を「政治的な迫害だ」と外山さんが強弁するのであれば、私は外山さんを非難するでしょう。

75 名前:元愛読者  発信日:2004年 7月 9日(金) 01時57分
闘争とか言ってても、結局は看守や他の受刑者にペコペコして、身の安全を保った(であろう)外山恒一。
獄中では女絡みの犯罪者はとくに軽蔑されると聞くからなおさらのことだ。
(あの人たちは、シャバの教師や市民運動家ほど、甘ないやろ?)

出所すると保護司のご機嫌も取らなきゃいけない外山恒一。

かつての「ぼくの高校退学宣言」の読者としては、こんな外山さんを想像するのは忍びない。
あなたの反学校とは、こんなくだらない犯罪で、前科持ちになることだったのか?

76 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2004年 9月 9日(木) 05時49分
論語
過ちをあやまざるものはあやまちなり。

国民から乖離した「自称・革命」など独善的な傲慢なわがままです
わたしの子供は将来福祉関係の仕事をしたいと勉強をがんばっています
ひとの役に立つ人間・・・これこそが生きている意味ある人生です
貧しい人や差別や不平等を無くすために、それは社会がわるい、それは体制がわるい、それは
親がわるい、学校が悪い、会社が悪い、みんな自分以外の他人のせいにしてずっと生きてきた
そんな外山に・・・・どうか、死ぬまでに人としての価値ある生き方を見つけてください
自分の心に革命をまず起こしてください、過去を懺悔してまずボランティアからでも始めて
ください・・・・サヨクの洗脳の呪縛に早く気づくことを祈るばかりです・・・

あなたは育ち方や教育に失敗した人間なのです、そこに気がついて一から出発してください
まず今まで迷惑をかけた人々に謝罪することです、それが人としてのありかたです。

77 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2004年 9月10日(金) 03時37分
鈴木ムネヲについての記事で、彼が攻撃的なのは過度の自己愛のための
自己防衛本能の発露によると記述してあったのを読んだ記憶がある。
外山の「社会に対する攻撃性」も根っこは同じかと。

あと、水は高いところから低いところに流れるそうで、外山のココロザシも
そうとう低いところに流れ着いたんでしょうな〜。

78 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2004年 9月16日(木) 16時43分
>77

いや、「かけらでも常識があったらまさかこんなことは」と皆が思うような事を
さも当然の権利のように実行するヴァカっぷりが、外山の醍醐味なんでございますよ。

79 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 6月22日(水) 19時02分
>その行動は、もはや運動の体をなさないだろう。
>そのシナリオは、既に僕の頭にある。

「天然当たり屋稼業」の外山に、組織的行動なんて、とてもとても不可能っしょ。
少しは、遠慮しろよ。

80 名前:秘密  発信日:2005年 6月25日(土) 05時37分
http://soejima.to/(副島隆彦の学問道場)
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sirogane(白金掲示板)

副島隆彦の学問道場の「白金掲示板」に来てください。
いろいろな知識を持ち寄ってください。遠慮せず、いろいろ語ってください。
お願いします。人が少なくて困ってます。助けて。

政治や思想を学びたい方待ってます。

81 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 7月 9日(土) 07時01分
>79

遠慮!!
外山が遠慮!
これほど外山に似合わない言葉もないです。

82 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 7月11日(月) 04時49分
外山に「慮」のつく言葉はあり得ないと思う。
遠慮、配慮、思慮、考慮等々。
すべて「してもらう」ものであって、「する」ものではないのでした。

83 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 7月14日(木) 02時30分
もう外山は一般常識でははかれない人になったのですから。
これで刑務所に文句つけたらハリセンものだが。

84 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 7月17日(日) 19時51分
外山が10代ならそれで許す。20代前半でも、ま許そう。
が、30代前半。しかも刑務所で税金で養ってもらっていた身分。
要するに、リッパな大人。若者を諭す年齢ですらある。
だから既に「ハリセンもの」なんです。

85 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 7月18日(月) 04時36分
ここに酷いのイパーイアルヨ
http://www1.jca.apc.org/aml/index.html

地球市民の巣窟

86 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 8月 5日(金) 21時14分
>>85
こんなにイパーイ・・・・ 気分悪くなってきた・・・
国を売るためにここまで必死になれるとは・・・ 左翼、死ね! 

87 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 8月10日(水) 05時02分
ヤバくなると「法律」と相手の「良心」に訴えて、助かった後に法律を破り、
相手を裏切るのが左翼の常套手段。

でいいですか。(w

88 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 8月11日(木) 07時48分
外山のような自分の国の政府が受けている屈辱的状態をあざ笑う人間の心理状態ってどんなもんなんだろう…
"悪い日本"をやっつける"正義の使者"気取りなのかな。
「日本人は反省・謝罪しろ」などと言っている人たちは他人に反省・謝罪を押し付けているだけで、
自分達に反省・謝罪する意志があるように見えないんだよね。
悪いが、自分は真実に気付いた正義側の人間であるというような思い上がりがあるように見える。

89 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 8月15日(月) 18時16分
人間は社会的存在であるからして他人との関係性なくして生きてけない。
それ故、『連帯』が必要。連帯がなくなると、アノミーになる。

Anomie(アノミー)。日本では無規範と訳すが、正確に訳すと無連帯。
連帯のないことをアノミーという。フランスの社会学者デュルケムの発見。
人間にとって連帯ほど重要なものはない。

連帯がないと、たとえば三蔵法師がタクラマカン砂漠でさまよったような気持ちになる。
誰でもいいから人に会いたいという気分になる。その結果、身体的にも精神的にも全く
健全な人間が、どんな狂者よりもはるかに狂的に行動するようになる。
そして時には自殺する。

愛国心というものは『連帯』を作り出し、人間がアノミーになるのを回避するために絶対必要なもの。

民主主義を機能させるための前提としても愛国心は必要。
今の日本人は愛国心が無い人が多いから、鈴木宗男などのような族議員を選挙で選んでしまう。
つまり、愛国心の無い有権者は日本のことを考えて投票するのではなく、自分のために投票してしまうのである。
これではいつまでたっても日本は良くならない。

90 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 9月13日(火) 01時28分
外山に説いても無駄な気がする。愛国心が必用だとか必用でない
とかでなくてなんで愛国心がないのかを考えるとやはり戦後教育
で日本は悪かったと言い過ぎたことが原因。誇りとプライドは人間
が人間らしく生きていくために絶対に必用なもので其処に日本という
世界でも稀な優れた民族の国をプライドの拠り所にする事によって
治安が保たれる。俺は日本人だから中国人や朝鮮人のようなヤクザ
な人間にはなりたくないとかね。自分は少なくとも善悪の基準に日本人
としてのプライドがあるからそんな馬鹿な事はしないとかそう言った良識
はある。

91 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 9月14日(水) 06時31分
なんで連帯の拠り所が愛国でなくちゃならないの?
人類愛でもいいじゃん。

92 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 9月16日(金) 03時26分
連帯の拠り所というのは、「他者」がいないと成り立ちにくいんじゃないのかな?

いい悪いは別としても。

93 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 9月18日(日) 18時35分
>>91
人類愛?
大いに結構
しかし、連帯の拠所が、外山恒一のような「売国」の方々がいることが問題なのです

94 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 9月19日(月) 07時08分
外山って「売国」なのか? まあ、日本が好きという態度は見せたことがないが(ワラ。

95 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 10月14日(金) 02時37分
「真の愛国心」というものが、普遍的・客観的に定義されたことはないので、
その論法はなかなか難しいのではないでしょうか。
「望ましい愛国心」あるいは「あるべき愛国心」というなら、成り立つと思いますが。

96 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 10月18日(火) 05時21分
日本では、諸外国の国民がもつ百万分の一の愛国心でも持つと「右極化、ファシズム」
ってさわぐ馬鹿がおおいね。

97 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 10月20日(木) 18時41分
自分の国をほんとうに愛し大切にしていれば、
他国の痛みもわかると言うものです。

外山や反日の人たちは、実は人や国を愛することが
できない人たちと言えます。

98 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 11月10日(木) 03時43分
日本人の日本人としてのアイデンティティの問題があります。未来はもちろん大事
ですが過去の歴史を強烈に非難することによって日本人を否定し自己のルーツも
否定することになります。アイデンティティやプライド、誇りといったものは未来を生
きていくために必ず必要なものだと思うのです。今の日本人にはそれが欠けている
のでは無いでしょうか?だから外国人に対してもはっきりと自分の意見も言えない
情けない日本人が増えているのだと思います。そんな日本人には未来は無いと思い
ますが。

99 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 11月11日(金) 10時35分
本来は左=自虐史観ではないんだけどね。
日本以外の国の左翼はみんな自国への愛国心を持っている。
漏れの見るところ、外山は、愛国心なんて無縁だろうけど。

日本の「左」は、コミンテルン32年テーゼというコミンテルンが
コミンテルン日本支部(日本共産党)に対して出した指令書
の影響で愛国心なき国民になってしまった。

マルクスは、「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視・祖国呪詛の
精神を扶植することが、革命への近道だ」と言っている。
まさに外山が、これ。
「祖国の前途に対する希望の灯を奪い」とられたバカ者。
サヨの一番、悪いところに染まったのさ。まさにブサヨだね。

100 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 11月15日(火) 12時42分
国家としてのアイデンティティと、日本人としてのアイデンティティは必ずしもイコールではない

しかし、こうも言える
外山のように一昔前の体制を批判するだけの現実逃避は将来のビジョンに欠ける
サヨの自虐主義では、悪いところを指摘できてもよい面を取り入れることができない
これでは、まさにモラトリアムになってしまう
そろそろ時代は変わったと認識して、現実に目を向ける必要があるな

なんだかんだいって、先進国までのし上がれたのは勤勉で実直な国民性だったからだ
今はそれまで否定されてしまい、暗中模索しているのが現状ではなかろうか

101 名前:明日の社会派ですよ  発信日:2005年 11月23日(水) 14時45分
豊かさとは何かを、もう一度考え直すべきだね
物質的に豊かでも、精神的に豊かとは限らない
貧乏でも汗水流して働いたなら、それなりに幸せも感じるだろうよ

大切なのは、努力するものが本当に報われると信じれる社会だろうよ
今これだけニヒリズム、諦めイズムなのは、それがないからでないかい?

102 名前:明日の社会派  発信日:2005年 12月18日(日) 03時18分
ことさら愛国心を強調するのはキモイが、これだけはイエル。
自分の国さえ愛せない人間は、人類も地球も愛せない。
むろん、外山も。

103 名前:明日の社会派  発信日:2005年 12月22日(木) 00時15分
『週刊金曜日』は「創刊の言葉」でこう言っている。
『ジャーナリズムが国民の信頼を失う原因に国家権力との癒着あるいは国家権力の広報機関化があります』

左翼が言う「国家権力との癒着」とはあくまで日本政府との癒着をさすのであって、旧ソ連や中共、北朝鮮は含まれてません。
 
だいたい、週金の創立者・本多勝一は朝日の記者時代、文革時代の中共を取材して「中国の旅」と言うルポを連載し、「万人坑」だの「南京百人斬り」だの「日本軍が中国人を殺して腹を切り裂いて内臓を煮て喰った」だのと「中国人の証言」を書きまくっていたわけでしょう。そして、それが原因で、現在多くの日本人が中国に対し罪悪感を持ち、中共に対して強くモノをいえない状況になっています。そういう意味で、週金のお先棒担ぎ(=中共・北朝鮮の広報機関化)は別に今に始まったことじゃない、左翼の本質的な体質です。

104 名前:明日の社会派  発信日:2005年 12月25日(日) 01時22分
俺は別に愛国者とかじゃないけど、いい加減、あやまれあやまれとしつこい
中・韓やサヨ(国内の市民団体)には腹が立ってます。
どう考えても、理のない理屈で日本をたたいてくる国にたいして、
苛立ちを覚えるのは、「プチナショナリズム」なのでしょうか?

105 名前:明日の社会派  発信日:2005年 12月25日(日) 14時00分
どの国のどの国民も愛国心を持ってる。
共産主義者だって自国のことを愛してる。

ただ、日本の左翼は特別。
彼らはコミンテルン32年テーゼの影響で
愛国心を持てなくなった。かわいそうな人達である。

愛国心をもてなくなったがために、彼らはアノミーになった。

106 名前:明日の社会派  発信日:2006年 1月12日(木) 18時25分
「愛国心」って書くからややこしいんでないの?
自分の住む地域、国、という共同体に所属することを「誇り」に思えるか?
ってことでしょ。それが個人のアイデンティティの根幹となり、れぞんでーとるに繋がる。
だから戦後1億総懺悔の中でも誇りを回復すべくアメリカに追いつけ追い越せで
死ぬ気で頑張ったじゃない。
だから愛国心は教えるんじゃなくて、日本が数千年築き上げてきた国の歴史を
きちんとありのままに教えれば、おのずと誇りも、愛国心(自分の住む国を大事にしたい)
も芽生えますよ。

107 名前:明日の社会派  発信日:2006年 1月13日(金) 01時06分
どうも一部の劣等感コンプレックス馬鹿にとっては、日本の歴史が罪悪に満ちているように
見えるらしいんだよ。堂々と誇れないんだよ。そういう連中は、自らの惨めな人生を歴史に
投影しているとも言えるな。
特に馬鹿な共産主義にまみれて敗北した人生を送ってきた者にはな。

108 名前:明日の社会派  発信日:2006年 1月19日(木) 00時52分
外山は、昔、リアル厨房の時、自衛隊員だった父親に反発したことがあったらしい。
銃を構えた写真を見て、怖くなったんだって。
自伝(?)に書いてあった。

平和と自由どっちが大事か?
歴史を振り返れば独立戦争や奴隷解放運動など
自由の為にどれだけの血が流されてきたことか
人間が人間として生きていく為には平和より自由が大切なんだと思う。

共産党独裁で言論の自由も無い覇権主義の中国
経済が混乱し政情不安定な核大国ロシア
軍事独裁政権でいつ何をするかわからない北朝鮮
北と戦争中で反日国の韓国

こんな国々に囲まれてるのに非武装中立?
日本がチベットやパレスチナみたいに蹂躙されるのはまっぴらごめんだ。

109 名前:明日の社会派  発信日:2006年 2月10日(金) 00時47分
外山は、「自分自身」が嫌いなんじゃないかな。
他国に攻め込んでもらって、殺してほしいと思っているんじゃないかな。

110 名前:明日の社会派  発信日:2006年 2月14日(火) 21時12分
>>108
自衛隊員の写真に反発ねえ。父親なのに。
ほんとに「田舎の高校生」がやりそうな反抗期だな(笑。
日本が武装を強化しようとしたら周辺の反日国が騒ぐ。
ようするにそういった反日国からみれば日本の軍備は邪魔なわけだ。
非武装中立とはそういった反日国の思惑と一致するから気をつけなよ(笑

111 名前:明日の社会派  発信日:2006年 2月23日(木) 00時31分
非武装中立の方は、家に強姦魔が押し入って来て、嫁や娘がやられても
抵抗しないそーですね、家の住所さらしキボンヌ。

112 名前:明日の社会派  発信日:2006年 3月11日(土) 09時41分
っつうかさ、武装を肯定するとそれだけで好戦派になるのか?
俺は柔道をやっているけど、それだけで喧嘩好きになるのか?
だとしたら、平和主義者の主張は世界中の大多数の武道経験者に対して恐ろしく失礼な事を言っている事になるんだけど?

後、外山恒一は政治なんかより、もう少し経済の事を勉強するべき。
公務員試験程度いいから経済の知識を持っていれば如何に自分が的外れな事を言っているか解るはずだよ。

113 名前:明日の社会派  発信日:2006年 3月17日(金) 21時11分
サヨク達が明らかに異常な体制の北朝鮮に人道支援の美名の下、米の援助を行えと運動していたように、北朝鮮の体制を維持すべく活動してきた事を考えれば、納得がいきませんか?
あなた達左翼は、金体制の存命に直接に関与していると判断せざるを得ません。

また、北朝鮮や左翼主義者に反対する意見に対して、右翼勢力であると判断するのはあまりに短絡的ではありませんか?

平和的解決には大いに賛成ですが、それには前提があり、両者が対話する意思をもっていることです。
工作船にて我が国近海を遊弋せしめ、もって恫喝する国が、はたして対話の意思を持っているかと言えば、これは疑問です。
平和的解決が一つの政治の手段であれば、戦争だって政治の一手段にすぎません。
飽くまでも平和的解決を目指してきた結果が、拉致被害者です。
あなたの言う平和的解決は、ただの夢であり、夢を食って生きているのは獏だけです。
そろそろ目を覚ましたら如何ですか?

114 名前:明日の社会派  発信日:2006年 4月 9日(日) 22時31分
いたずらに「捏造」、「でっち上げ」を叫び、自らを肯定する為には如何なる手段も辞さず、都合が悪くなるとだんまりを決め込む・・・
自らの言論の自由は大声で主張し、自分に都合の悪い意見には「誹謗、中傷」であるとする・・・
そんな沢山の左翼と、外山サン、あなたは同類ですか?

田嶋陽子のHPの掲示板に、常軌を逸した意見が掲載されています。

以下全文
>>>もしかして、市民を拉致・レイプするかもしれないとでも。そんなことするのはどこかの国位でしょう。
そうですね。米帝の黒人兵が少女をレイプした事件がありましたね。
マスコミが取り上げないだけで自衛隊が震災当時の神戸で働いた犯罪は数多くあります。
記者クラブが警察と癒着しているためあまりに酷い事件は、今回の北朝鮮のように
もみ消されてしまうのです。(最近の例だと札幌の捜査官獄死など)
この国が開かれた民主主義社会などと思いあがるのは総計でしょう。
まだまだ北朝鮮に学ぶことは山のようにあります。

あなたはこの人物に対して、どのような感想をお持ちですか?

115 名前:明日の社会派  発信日:2006年 4月10日(月) 00時15分
徹底した反日教育を施している韓国や中国よりも怖ろしいのは、
なんといっても朝日をはじめてするマスコミである。
とりわけ、久米宏や田原総一朗といった「反日狂人」たち(勿論、外山恒一も含む)は、
名前も売れているだけに、もっともタチが悪い。
ウソでもでっちあげでも、堂々とTVで垂れ流せるのだから
たいした権力者である。
やつらは、日本の内側へ向けて日々毒ガスを発射し続けているようなものだ。
まだ自分の思考が定まらない子供や、自分でものを考える
ことをしない怠惰な大人達は、すっかりこの毒に犯されて
しまっている。

『親日派のための弁明』を書いた韓国人・金完燮を見習って
もらいたい!

「日本は明治維新以後、多くの偉業をなしとげ、日本だけでなく
人類の歴史にも多大な貢献をした国である。このように輝かしい
歴史を持っている日本が、いちど戦争に負けたために自分たちの
歴史にプライドをもてず、みずから虐げている現実は悲しく、
もどかしいこと極まりない。」

マスコミやサヨク言論人にこの言葉が言えるか?
久米宏や田原総一朗は、この発言をどう思っているんだ?

我々は今、「反日狂人」(勿論、外山恒一も含む)たちを葬り、「親日派韓国人」と共に
未来の日韓関係について共闘しなければならない時期にきている。

116 名前:明日の社会派  発信日:2006年 4月14日(金) 00時12分
しかし革マルにしろ全学連にしろ、未だにこんな活動をしている人たちがいるというのは凄いよな。
絶滅しないように国が保護するべきではないだろうか?
いまだにカラフルなヘルメットかぶって「弾劾!糾弾!革命!」だもんなぁ。
ああノスタルジー。
ちなみに外山恒一氏も保護対象に推薦したい。

117 名前:明日の社会派  発信日:2006年 4月18日(火) 00時10分
民主的平和国家に於ける左翼の限界線
はアメリカの民主党やイギリス労働党、ドイツの社民勢力、フランスの
民主連合辺りだろう。それよりも左だと、日本の社民党みたいに、テロリスト
にいいように利用されたり、その親戚の赤軍派みたいにテロリストそのもの
と認定されてしまうわけだ。で現状はそういった連中がいよいよ年貢の納め時
を迎えつつあるっていうことで、その意味でこれは右傾化ではなく、単に
民主的平和国家として正常化しつつある状態ということだろうな。

118 名前:明日の社会派  発信日:2006年 4月18日(火) 21時54分
>社民党、サヨク系市民団体、外山恒一ほかについて

かつての社会党、共産党は、社会主義みたいなまがいものを根拠にしていた点も不甲斐なさのひとつですが、ひとつ印象強かったのが、「代替案」を提示する能力が不足していたことです。
(たとえば消費税反対運動などでも、「では将来の財源はどうする?」と聞くと空疎な答えが返ってくるばかりでした)

なんでもかんでも条件反射的に批判して、確固とした代替案をつくる訓練をしなかったから、衰弱してしまいました。

でも無責任に条件反射的に批判するというのは、世間一般にも見られる傾向だと思われます。批判するのなら、よりすぐれた代替案を提示して、批判するべきで、なんの代替案もださずに、ただ「ダメだダメだ」と批判するだけなら、かつての万年野党と同じです。

例えば経済政策などでも、どの政策がいいのかというのは、ちゃんとした「モデル(たたき台)」を提示しなければ、いくら批判や主張してもあまり説得力がありません。
「モデル」というのは、A案とB案があった場合に、どちらがすぐれているかというのを、それぞれの案で「モデル」をつくり、それらをシミュレーションして比較検討することです。シミュレーションは本当に正しくて現実的か?、どちらが良い結果をもたらすか?、などを綿密に検証して、どちらの案が優っているか判断されます。A案とB案のどちらも気に入らなければ、C案を出せばいいのです。

どうして社会党などが代替案能力が不足していたかというと、反国家的思想のために国家を基盤として考える力がなかったのと、偏向した学者の言うことばかり聞いていたので判断能力が落ちてしまったのと、役人や企業など実務に携わる人間と交流しなかったので知識の絶対量が全く不足してしまっていたのと、とりあえず反対して目先の票をかせごうという長期的視野の無さと、過去の言説に必要以上にとらわれる意固地さがあったのと、等々・・
に原因があるような気がします。

119 名前:明日の社会派  発信日:2006年 5月 8日(月) 22時57分
今時のサヨてーのは利己主義で人の事は構わない、
自分さえ良ければいいってヤシが多いから、
その時だけよければいいって考えで国や国民を
平気で敵や敵国に売るんだよ。(今、敵じゃなくて諸外国っつーのかな)

韓国にせよ、中国にせよ、日本にいちゃもんつけるのは、
国益を考慮した『国策』なんだよね。
だから、腹は立つけど致し方ないとも思う。
どうしようもないのは、日本人でいながら、
たやすく洗脳されて、よく考えもせずにあちらの言いなりになるヤシら。
腹が立つというより、情けない。早く目がさめてくれ!

120 名前:明日の社会派  発信日:2006年 5月13日(土) 10時11分
心底思う事が一つ。
無知は罪じゃないな、と。無知を自覚するだけで、全然違うのにな、と。
知ったかぶり――外山恒一本人は知ったかぶりをしている事すら自覚していない――が、問題なのにねぇ。

121 名前:明日の社会派  発信日:2006年 5月15日(月) 19時06分
真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。
皆様も以下の「詭弁の特徴15条」を覚え、そういう輩を排除しましょう。

 1:事実に対して仮定を持ち出す
 2:ごくまれな反例をとりあげる
 3:自分に有利な将来像を予想する
 4:主観で決め付ける
 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
 7:陰謀であると力説する
 8:知能障害を起こす
 9:自分の見解を述べずに人格批判をする
 10:ありえない解決策を図る
 11:レッテル貼りをする
 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
 13:勝利宣言をする
 14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
 15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする

122 名前:明日の社会派  発信日:2006年 5月17日(水) 01時08分
これといった主張があるわけでもなく、ただ世論に反抗するのが
カコイイと思うのは中学生までにしてください>外山

123 名前:(´・д・)  発信日:2006年 5月19日(金) 18時50分
外山を「革命家」として見るから、批判や文句がでるんだよ。
外山は「文章が書ける芸人」なんだな、これが(笑)。

江頭2:50が変なこと言っても、誰も批判しないだろ、
チャンネルは変えるかもしれないけれど(笑)。

外山は関わった人を不幸にするって意見があるけど、
それじゃ「Zガンダム」のハマーンだよ(笑)。

外山には不幸な人間を吸い寄せる言論があるんだよ。
まともな人間が外山の文章を読んで、近づくハズがない。

124 名前:明日の社会派  発信日:2006年 5月22日(月) 21時26分
ある事柄を斜に構えて見て(見たつもりになってだけど)
『やっぱり流れに逆らっている私ってステキ!(はぁと)』
とかって涎垂らしながらウットリしてる外山を、時々、想像してしまふ……鬱……。

125 名前:明日の社会派  発信日:2006年 6月 6日(火) 21時02分
外山恒一をはじめ、左翼の思考の出発点(前提)にはコミンテルンの『暗黒史観』があるので、
事実認識として日本が悪く或いは暗くなければ困るわけで…

根っこは「革命の理由付け」でしょう。とにもかくにも「政府が悪い」「現体制が悪い」としなけ
ればならない訳で、それを時間軸を無視して1世紀分、あるいは3千年分をぐっちょぐちょに合わ
せている訳です。あげくに網野某の様に「ヤマト政権から続く『侵略性』が日本の正体」等と
怪電波を飛ばす様になります。

興味深いのは、近代から現代の東アジア通史を見る時も、サヨクは日本だけしか見ていない事です。
凄いっすよ。支那の軍閥ですら「大した話じゃない」んだそうで(笑

ご本人達は正義であり、歴史を学んだエリートという意識を持っている様に見受けられますが、
日本と関連付ける事でしか物が見えない点で、異常にローカルで視野狭窄なのです。だから世
界の不幸は全て日本のせいにするしか無いのです。しかしその異常性に気が付かないのは不思議です。

126 名前:明日の社会派  発信日:2006年 6月 9日(金) 01時35分
人は劣等感を日頃抱いている箇所を突かれると逆上するもんだ。
外山の場合は遺産が大きすぎ。本人も結構苦しんでるんだろうな。

127 名前:仁田  発信日:2006年 6月11日(日) 01時10分
公安調査庁の協力者・千田俊太郎 http://glmai.cocolog-nifty.com/glmai/ 

128 名前:明日の社会派  発信日:2006年 9月14日(木) 18時04分
自分だけが正義だと思い込むバカは必ず
それに賛同しない人間をバカで悪だと定義し自らを正当化しようとする。

高校生はすべて善、教師はすべて悪だと年上のバカに刷り込まれ
そのまま受け入れ思考停止してるバカどもは反政府反大国をスローガンに
毎日基地外じみた叫びを続ける。

こういった自己愛にのみ執着するよう洗脳されたバカが
迷惑かけた他人に心から詫びろなんてのは最初から無理な話。
そういうのが泣いたりするのは単に自己陶酔の表れ。

129 名前:明日の社会派  発信日:2006年 9月16日(土) 04時12分
どうせこいつはまた警察に捕まったら、臆面もなく
「ドラえも〜ん、助けてよ〜!!」
と仲間に泣きついてくるんだろうなあ。

130 名前:明日の社会派  発信日:2006年 9月16日(土) 16時43分
こういうヤツはまず周りに当り散らす。
決して内省という方向には思考が行かないんだよね。
自分も批判の対象の一員なのに、何故か自分を第三者的な立場(神視点か?)
に置いて、周囲を批判したりする。

131 名前:明日の社会派  発信日:2006年 9月20日(水) 04時45分
名前検索して近況を知ったわけだが
「この人を見よ」の頃はまだ20代でピチピチしてたけど、
結局「自称文化人ライター」なんかへ潜り込まなかったわけか。
社会的にドン詰まり。
「金も名声も手に入れるつもり」だったのにね。

哀しいな。

132 名前:明日の社会派  発信日:2006年 10月13日(金) 15時04分
人の評価には、個人の行き過ぎを抑制するという大切な働きがあります。
人の評価を全く気にしない人間というものは、その内部にある独善を抑制する
機能が気にする人間よりも弱いため、結果として反社会的行動を取りがちです。

やっぱり子供は褒めてあげましょう(勿論時には叱ることも必要ですが)。

133 名前:明日の社会派  発信日:2006年 12月12日(火) 16時54分
 外山恒一はね。
 典型的なンですよ。

 自分の感情、私情、恨み辛みを、ただいつまでも抱え込み無理矢理に理としてこねあげて。
 ただ声高に 「これが正義だ。これが理想だ」 と叫ぶことで内なる葛藤を押さえ込もうとしている。
 自らの過去現在においての不遇、不満は、全て自分の考えあげた理に適っていないからだと。
 そう思い込もうとして、必死になっている。
 生身の、だらしなく虚栄心が強く浅ましいものも保っている自分という存在。
 その愚かさを。それまでに行ってきた過ちを、受け入れることが出来ない。
 始まりが私。過程も私。結論までも私。全てに置いて、彼の言葉には自分しか無い。
 人を低く貶めて保たせる私。先人を誹謗して保たせる私。
 彼は場を見ない、人を見ない、社会を見ない。
 ただ私憤、私怨、私情を抱えたまま、空を見上げているだけなんだ。
 決して他者と視線を合わせて語り合うことは無い。
 そりゃあ、空は美しいだろう。
 遠く、高く、そして見えるのはただ光と水滴で、何より実体がない。
 大地と宇宙の狭間でしかない。
 それが空だ。
 だが、空に向けることしか無い言葉は、地を這う人々には届くことはないんだよ。

134 名前:明日の社会派  発信日:2006年 12月14日(木) 15時09分
外山は、自分が気に入らなければ、ブチ殺しても良い、という小学生並みのメンタリティをぶちまけているわけです。
彼らは、もし彼らの願望(自分が気に入らなければ、ブチ殺しても良い)が通用する社会になったら、それが自分たちの身にも跳ね返ってくる、という単純な事実が、理解できないんですね。

135 名前:明日の社会派  発信日:2006年 12月15日(金) 16時35分
なんかもう、外山が何言っても
「あ〜、またなんか嘘言ってんだろ〜なぁ・・」
くらいにしか思えなくなった。

誰にでもこういう友人、知人っているじゃん。
嘘ばっかり言ってるヤツ。
一度そういう認識がついてしまうと、もうそいつの言ってる事は
右の耳から左の耳へと素通りするだけ。
相手にされてない事に気が付いてないのは本人だけってヤツ。

136 名前:明日の社会派  発信日:2007年 2月18日(日) 08時22分
「中国やソ連の核兵器は綺麗な核兵器。」
「北朝鮮による拉致は捏造。」
「拉致被害者だって北朝鮮で平和に暮らしてるかもしれない。」
「中国はいまだかつて他国を侵略した事はない。」
「北方領土はソ連の領土。」
「毛沢東は英雄。」
「レーニン・スターリンは英雄。」
「マルクスは神。」
「日本はアジアを侵略した。世界征服を企んでいた。」
「日本は韓国を侵略して植民地化した。」
「(チベットの抵抗運動は)チベットの反乱」
「中共による虐殺は事前予防。」
「台湾は平和のために中国領でなければならない。」
「従軍慰安婦とは強制連行された性奴隷。」
「南京で日本軍は30〜40万人虐殺した。」
「日本軍は中国人を5000万人殺した。」
「台湾もチベットもモンゴルも朝鮮も沖縄もインドも東南アジアも全部中国領。」
「侵略ではなく、共産主義による解放・救済。」
「日本は右傾化している。」
「日本は自衛隊を持ってはいけない。」
「在日朝鮮人は強制連行されて日本に来た。」

etcetc…

(´・ω・`){ありがとう、サヨク及び外山恒一。自虐洗脳が解けました。

137 名前:明日の社会派  発信日:2007年 3月28日(水) 07時54分
たしかネットのはしりの時代の頃はサヨクの連中は、これで市民が直接
ニュースを配信できるユートピアができるとか、市民が直接社会を動かせる
時代ができる万歳というような主張をして、そのような本を書いていたような
気がする。今考えてみるとサヨクの連中はここまで自分たちが少数派だとは
思っても見なかったんだなぁ。ww

社会党が天下を取れなかったのは、悪の組織が暗躍しているからで、
正しい情報が入れば間違いなくサヨクが天下を取れると考えていたんだなww
やっぱりサヨク(マスコミは左翼的人間ばかりだ)は浮世離れしている。ww

その点やはりレーニンやスターリンや共産党は偉い。
選挙をすれば確実に負けるということがわかっていて、民主集中制をとなえて。
独裁権力を握ったのだからなぁ。ww

日本の左翼でも共産党だけは必要だぜ。共産党崩れは結構優秀な人が多いぜ。ww
ネット全盛の時代になっても、赤旗システムだけは生き残りそうだぜ。ww
危ないのは朝日と筑紫だろうなww。

138 名前:明日の社会派  発信日:2007年 3月28日(水) 18時39分
左翼的の人がそれでも最後まで誠実にやってくれれば、
プチウヨっぽい人も少しは共感を覚える人も増えると思うんだがな。
何故か人格攻撃というか、ニートだの引きこもりだの、目先の口喧嘩に餓鬼のような勝利感を得ようとする。

大方の人は職業人だったりするから、その見当はずれの認識に、さらにサヨクに対して虚脱感を覚えたりと、
まあ、いろんな経路でサヨクが説得力を失うのは、その根本に「誠実のなさ」があるからだったりすると思う、今日この頃。

139 名前:明日の社会派  発信日:2007年 3月29日(木) 15時32分
救われてるのは外山恒一自身じゃないの?

「反教育運動をやった(?)」ことだけが唯一の自慢だった運動ヲタ
の孤独な人間が曲がりなりにも言説でもって「世直しモードの旗手」になれた
んだからね。

外山の学問は畢竟自分自身の存在意義を確かめるためにのみあるのだと私は思
ってる。誰も外山に見向きもしなくなったら自殺しちゃいそうで怖い。ただで
さえ鬱持ちだからな。

「叩かれてもビクともしない」というイメージがあるそうだが、女子高生のリ
スカと同じで、叩かれることで生の実感を確かめてるんじゃないの?

140 名前:明日の社会派  発信日:2007年 4月 1日(日) 20時05分
外山が「強い」のは
@自分の主張(理論)にあわない現実は無視する。
A盲点を突かれたら「そんなこと当たり前じゃないか」と恫喝してごまかす。
B論敵は自分が与しやすいように単純化(デフォルメ)して攻撃する。

彼が「賢い」ということだけは間違いありません。バカサヨクの精神は崩壊してるからね。

141 名前:明日の社会派  発信日:2007年 4月 3日(火) 15時40分
バカな出版社が多数存在します。例えば冷戦期に日本経済を欠陥だらけの悪の
システムのようにさんざん罵倒して、ソビエト、中国、北朝鮮の経済を最高の
経済システムと持ち上げ、日本経済が伸び続け西ドイツ経済を追い抜くとこれに
言い掛かりを付けて、言葉で修正できないほど日本経済が西ドイツ経済に差を
付けると急にダンマリを決め込み、ソビエト崩壊で自己の主張が崩壊すると
今までの論調はなかったかのように、また中国、北朝鮮を誉め続けます。
そして、資本主義の権化として、あれだけ罵倒した日本の経済システムを
実は日本経済こそ社会主義だったとソビエト崩壊後10年あまりでほざきはじめる
わけです。マジでいい加減にしろよと。。。

名前: メール :      




☆ 政治と社会 ☆ 総合掲示板 プラスワンにもどる!! ☆ 

全記事表示中 ページの先頭まで飛ぶ! レスを全部、見る 最新レス50件を見る 記事1-50を見る 50以降を見る